2016年12月22日木曜日

11月16日

11月16日、ZAZEN BOYSのビルボード。テーブル席の一角で、私の両眼はギターの弦をはじく演者の指先、その軌跡を追い続けていた。

歌唱部分の音声はなぜか背後で響いており、前方すぎるのも聴覚体験としてはどうなのかと思った。しかし、演者の節くれた指が鍵盤を押さえる力の機微や、弦の上でのけ反る小片が描くしなやかな曲線など、今この場所ならではの視覚が新しく鮮やかに感じられもした。

皺のシャツ。草臥れたスラックス。ゆらりと花道に現れ、大勢の視線に晒されながら階段をゆっくりと歩み降り、さらりと壇上に立った枯淡の人。拍手を浴びても静かに肚が座っている。簡単な身支度を済ませ、特に目配せもなく、4人は同時に、軽く息を吸い込む。その直後、濃紺の静寂が色鮮やかな爆音へと転じ、壮大な晩酌の幕が切って落とされた。

束の間の時間を濃密に生きる。その生き様が電気信号に変換され、エンハンスされ、空間の隅々へと出力され、客は存分に酔った。そうするうちに舞台奥の幕がするすると開き、ZAZEN BOYSの背後に、新生六本木の、小洒落た夜景が広がった。

親しみやすさ、命削るような懸命さ、あるいは反骨の痛快といった各種のサービス表現を期待していたらきっと肩透かしである。そうではない。彼らは、精神的に場違いなこの感じを肴に、他者が介錯する芸術性であるとか、他者が介在する関係性などとは無縁の境地に遊ぶ。壇上の4人だけが今この瞬間の生き死に、に向かい合っている。

私の両眼はそれをはるか近くの遠方から目撃するのである。あまりにも近くて遠い。お互い実在する時空が違っているんじゃないかとすら思うほどの遠さ。あちら側の結界から放出される音の波が、こちら側に茫漠の渦巻きをかたちづくっている。壇上の生き様と対峙するにはあまりに無力なこの身体を渦巻きの勢いに預け、為すがままに。

時は過ぎ、気づけば、壇上にはすでに誰もいないのであった。楽器だけが抜け殻のように残されていた。その奥には素知らぬ顔の夜景が広がっている。飲み干した杯のなかで氷が溶け落ち、幽玄から目覚め



あのね。
ところでもう1ヶ月近くもこの文章を弄っているんですよ。

ずっと気に食わないでいるから、
ついに諦めてアップすることにした。

つくづく、音楽の感想文は性に合わず、向いていない。
でも掻き立てられるから、書かざるをえない。
できれば、「カッコいい」という言葉を一回も使わずに書きたい。
するとこんな風に回りくどく、胡散臭くなる。
「カッコいい」と一言書けばそれで済むものを。

いやいや、そんな単純なものではないのだ、私が体験したものは。

もっと複雑で、だけどもっと簡単で、実に味わい深く、、、ああやかましい。もうどうでもいい。