週末の野営で左瞼を虫に噛まれた。
翌朝どうも視界が狭いので鏡をのぞいたら瞼がパンのように膨らみ、なかなか壮絶な形相に仕上がっていた。
そのまま出歩いて人が驚いたらいけないので眼科に行き、薬局で眼帯を贖ってつけている。右の眼球が懸命に認識する世界はどことなく不均衡で、薄暗い。遠近の感覚もいつもと異なり、地下鉄の急停車で思わずつかんだのは手すりではなく宙空。前方に立てる人の背中につんのめりそうになった。
ひとつ気づいたのは、眼帯を装着しているとなぜか口が半開きになることだ。口を閉じようとするとどうも息苦しい。突然狭くなった視野を補うため、少しでも知覚をひらいて情報を得ようとするためなのか、ああ。
というわけでDIC川村記念美術館のヴォルス展。
若々しい野心と観察眼をもって切り取った路上の写真や、繊細な線と色が戯れる水彩。
そう思いたい。そう思わせてくれ。そのくらい、一連の水彩画はみずみずしく、眺めていると軽やかなピアノの音がコロコロとこぼれてきそうである。
記憶に絡みつく、蜘蛛の糸のように繊細なインクの線。息を吹きかけたら一瞬で消えてしまいそうな、針の先で慎重に引っ掻いた線。
まるで空気の正体を描くために導かれたようなこれらの線は、ヴォルスが「目を閉じているうちにつかんだイメージ」なのだという。その対象とかタイトルとか、もはやどうだっていい。ジャズだろ、これは。
まるで空気の正体を描くために導かれたようなこれらの線は、ヴォルスが「目を閉じているうちにつかんだイメージ」なのだという。その対象とかタイトルとか、もはやどうだっていい。ジャズだろ、これは。
自由な表現を得るために、目を閉じてみる。
この世で、芸術家が生き延びるために編み出した1つの方法だ。刮目と睥睨だけが芸じゃない。
虫に噛まれたのも何かの縁。しばし目を休め、内なる声に耳を澄ませてみる。