今年もシンガポールデザインウィークの取材に行ってきた。
正直言うと、本当のところを言うと、「今年はどうしようかなあ」と思っていた。もちろん昨年もそれなりに刺激的ではあったが、初めてのシンガポールだったこともあり、デザインウィークというよりは、スマートでクリーンな街並みにそびえたつ異形の摩天楼や、ミックスジュースみたいな多文化の混交具合にすっかり昂ぶってしまい、この国のデザインについて冷静に考える余裕などなかったような気もする。そんでもって最後は恐怖のタクシードライバーに全部もってかれてしまったし。(去年の投稿)
しかし、色々ご縁があって今年もまた行くことができた(声をかけてくださった関係者に心から感謝している)。そして今年こそ、ほんとうにシンガポール人の「デザイン」に向ける本気度を思い知ることになった。その詳細については、本業の役割としてこれから必死で原稿に落とし込まなければいけない。ただ一つだけここで言えるとすれば、今年のシンガポールデザインウィークの最大の見どころは、シンガポールのデザイナーが「大きな物語を語りはじめた」、ということだ。
例えば、50年後のシンガポールの姿、あるいはものすごいスピードで失われていくローカルの熟練技術、国民の8割が暮らす公共住宅「HDB」における生活のあり方――。2015年に建国50年を迎えて、100周年に向かう今後50年をいかにしてデザインしていくのか、ということを最前線で活躍する30代の若きデザイナーたちが真剣に考え、伝える取り組みに従事している様子が印象的だった。
彼らにとってのデザインは、ものを作ったり、絵を描く、といった身の回りの次元をとっくに超えている。もっと大きなレベルのビジョンを描き、それを伝え、繋いでいく。そのためにデザインのスキルを使う、使い始めた、ということなのだ。・・・・いけない。このまま勢いに任せて然るべき原稿の領域まで踏み込んでしまいそうだ。まあ、そのくらい見るべきところがあった、ということが言いたかった。
AXISウェブマガジンでシンガポールデザインウィーク2017の連載中。こちらを御覧ください。
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今回の旅の終わりに1つ、印象的な体験があったので紹介したい。
最終日の朝、今回ご一緒したインテリアスタイリストの長山智美さんに教えていただいたオススメの観光スポット、「チャイナタウンヘリテージセンター(Chinatown Heritage Centre)」に行ってきた。
19世紀から1950年代にかけて数百万もの中国人が本土の飢饉や貧困から逃れ、新天地での成功を夢見てマレー半島に渡った。植民地の労働力としてインド人やアラブ人などが既に入っていたため、「新客」と呼ばれた中国人の住居兼店舗(ショップハウス)が長屋のように集積する一体がチャイナタウンである。同センターでは実際にショップハウスで生活を営んでいた仕立業の家主一家と共同生活者たちの品々をそのまま保存し、展示している。イヤホンガイドの解説を聞きながら一部屋ずつ巡っていくのだが、訪れたのが朝一番だったためか私のほかに客がおらず、 1人で薄暗い長屋の部屋を見て回った。
長屋の中央付近には吹き抜けがあって、天窓からわずかな光を取り入れる工夫もある。しかし基本的には「穴ぐら」の生活だ。洋服の仕立てというスキルを持つ家主は1階に店を構えて、裏に工房を持ち、何人もの奉公人を抱えている。その2階では互いにすれ違うのも難しいほど細長い廊下に沿って2.5✕2.5メートルほどの小部屋がずらりと並び、1部屋ごとに「クーリー(苦力)」と呼ばれる人夫や車夫といった職業の人々が肩を寄せあって暮らしている。トイレや台所は共同で、部屋は薄い板で仕切られているだけ。快適やプライバシーなどという言葉はここには存在しない。
熱帯での厳しい肉体労働の疲れを紛らわすために給料の半分もする阿片を吸い、阿片を買うためにまた働くという悪循環に陥いる者も少なくない。そうかと思えば、木製サンダルを作って成功し、収入がそれなりにあるにも関わらず、中国に帰る日を夢見て懸命にその金を蓄える職人の一家もある。そう、彼らはいつか母国に帰りたかった。
一方で、過酷な生活のなかにも、結婚して子どもが生まれたり、季節ごとの祭祀といったささやかな楽しみや希望もあった。ある部屋のなかで、まもなく生まれてくる子どものために用意された粉ミルクの缶や、小さな枕に載せた玩具を見つけた時、思わず目頭が熱くなった。この「穴ぐら」で必死に日々を生きていた人たちの息づかい、囁き、怒号、すすり泣き、そして幼い子どもたちの笑い声。室内に雑然と置かれた無数の品々から、彼らの気配や体臭が立ちのぼってくるような気がする。生きる、とはなんなのだろう。「人間」ということの宿命を思わずにはいられない。
2階の窓から通りを見下ろすと、多くの観光客がそぞろ歩き、鮮やかなオレンジやブルーのペンキで塗られたショップハウスを憧れのような眼差しで見上げては、カメラのレンズを向けている。南国らしく底抜けに明るくカラフルな壁の向こう側で、ある時代を泥臭く生きて、生きて、生き抜いて、国の基礎を築いた人々がいたということ。しかし、現代の「スマートでクリーンなイケてる国」として知られるシンガポールにおいては、彼らの「物語」が声高に語られることはもはやないのかもしれない。(終)