2017年3月21日火曜日

春を待つ

桜は咲いたようだが、春を待っている。

そして待ちながら考える。

目の前にどんな道が現れても、冷静に、間断なく、その道を歩き続けよう。高層HDBの50階からシンガポールのまばゆい夜景を眺めながら、デザイナーのウェンディ・チュアは言った。「人の才能なんて大して差はない。そのアイデアが、光のあたる場所に行けるかどうかはすべてタイミングなんだと思う」。



激流のなか、ものすごいスピードで見え隠れする黄金の魚。タイミングをつかまえることは容易ではない。つかまえられないとすれば何かの準備が足りなかったのだ。でも、時も、人生も、同じように流れてゆく。どこかできっと機会はまた訪れる。そう信じて、日々を変わらず、自らの技術を習熟させ、静かに時を待つのだ。惑星形成論の井田茂先生はこう言った。「(新しい星をつかまえるためには)ひたすら待つしかない。たとえ自分が生きている間に出会えないとしても」。最先端のサイエンスですら、その奥義は「待機」であるという。況や、凡人の処世道をや。

30周年を迎えたエレファントカシマシの宮本浩次氏は「チャンスなんて確信なんだ、感じるものさ」とかつて歌った。己の可能性を諦めることなく誠実に対峙し、周囲に対しても常に開かれた姿勢で臨んでおれば、長い待機時間の先に、然るべき時は訪れる。こちらの準備が万端でありさえすれば、あらかじめ丁寧に導かれるようにして出会うことができるはずだ。


ある人が20年勤めた会社を辞めるという。長く一緒に仕事をしてきて、安心の、とてもいいチームだったので残念に思ったが、自身の目指す方向とは全く違う辞令が出たため即座に退職を願い出たそうだ。潔さを貫いたその人は、「実は数年前からぼんやりとではあるが自らの転機を探していたので、辞令は1つのきっかけにすぎない」と話してくれた。心の準備はできており、その時が来るのを待ち続けており、「今だ」というタイミングをつかまえていよいよ踏み出したというわけだ。確信とは、徹底した準備と待機の上にある。そして私は、その先に幸あれかしと心から願う。