2016年6月3日金曜日

和菓子屋「一幸庵」幻の作品集、待望の一般発売

和菓子職人の水上力さんの本「IKKOAN」が6月下旬に青幻舎から新装出版されるとのこと。




これまでテレビや新聞でも紹介されてきたからご存知の方も多いかもしれない。
和菓子の世界ではどちらかといえば先鋭的な動き、既存の概念を軽やかに超えてゆく才気と技術、そして何よりもピュアな感性を持ち合わせた和菓子の芸術家。そんな水上力氏は、むしろ海外のパティシエやシェフたちから熱い視線を集めている。



眺めて美しく、楊枝を入れれば驚きがあり、口に含むと「ああ、おいしい」と心がすっと安らぐような日本のお菓子。水上氏は「お茶がおいしくなるお菓子であること」を第一義とし、伝統の心を重んじる。伝統あってこその先進だという。


2015年クラウドファウンディングによって書籍化された「IKKOAN」は好評で増刷されるも未だ入手困難となっていた。日本の季節の繊細な移り変わりを表す暦「七十二候」に沿って一つずつ丁寧につくりおろされた見事なお菓子のビジュアルと、水上氏による言葉が日本語、英語、フランス語というトリリンガルでまとめられた本は、まさに世界が求めていた一冊だった。今回、海外販路をもつ青幻舎から改めて新装版として出されるということは、今後求める人の元へと安定的に届く仕組みができるということ。大変喜ばしいことである。

茶巾で絞って、水上さんが広げた手のひらのなかに可憐な菊がほころびた。
そんなライブ感のある美しい写真。


ところで発端となったクラウドファウンディングや各所の取材や講演のマネジメント、そして今回の新装版に至る道筋を切り拓いた人物がいる。ここで「仕掛ける」という言葉は使いたくない。戦術や罠を想起させる用語に聞こえるからだ。私はかつて水上氏に取材する機会を得て、事前にその人物に話を聞かせてもらった。あまりに熱心な語り口にやや圧倒されていると、その人は「水上さんのファンなんです、ただし熱烈な」と言った。

ご実家が東京・小石川の一幸庵のそばにあり、幼少の頃から母親に連れられて店に足繁く運んだのだという。一幸庵の菓子を食べて育った少年はいつしか大人になって社会人に、広告の世界に足を踏み入れた。いくつかの偶然や再会が重なり、出版計画のきっかけは本当に些細な、それこそ思いつきに近い“衝動”だったと振り返る。しかしその“衝動”を支えていたのは幼少期の繊細な五感に刻まれた鮮烈な記憶であり、その後のすべてが一冊の本に向かってつながっていったのだ。

「何か卓越した技術や経験があるわけではない。僕には想いしかありません」

謙遜してそう話す。しかしながらその想いこそが、既存のシステムや閉塞感を乗り越えていく。あっ、熱苦しい話でごめん。でも実際そうなんだから仕方がない。斜に構えることなどできない。例えばバレーボールなどオリンピックのための予選など見ていると、24対23であと1点で勝負が決まるというような状況では、技術や能力が五分五分ならあとは気持ちだけの問題というような気がする。どれだけオリンピックに行きたいかという想いの差でしかないような気がする。そして、そういう局面ってスポーツだけではないような気がするのだ。

人生って、どうしたってやらなきゃいけない時ってありますよね。
なぜそれが自分なのかわからないけれど、どうしても自分がやらにゃならんという時が。厳しい戦いなのは明らかなわけで、一人突っ込んで行ったって到底歯が立たない、相手にもされない。周りは「どうせ負ける勝負なのに」「ばかだね、あいつ」と憐れみながら嗤っている。孤独。敵の反応に一喜一憂して「こんなことやらなければもっと楽に生きられるのに」と囁くもう一人の自分。でも何かに突き動かされている。残りの人生かけてもやりたいと思う。だって俺が見つけたんだ、私が感動したんだ。だからこの感動を誰かに伝えなくちゃ。そのためならどんな方法だって厭わないし、泥の中だって這いまわるさ。
強い想いと足掻きが少しずつ厚い氷の壁を溶かしていく。やがて氷の先に協力してくれそうな人の姿がぼんやりと現れる。そこに向かって必死に壁を叩く。最初はダメでも、もう一回叩く。もう一回。もう一回。手に血が滲む。心が痛む。でも叩き続ける。
そうこうするうちにやがて誰かに何かが届く。受け取った誰かからまた別の誰かへ。想いの連鎖ができていって、あるしきい値を超えた時に一気に伝播していくイメージをひたすら持ち続ける。不可能の扉をあけ放つ日がくるまでそれだけを信じる。あとは孤独。
そんな祈るような想いを胸に抱き締めながらたぎらせながら歩いている人、一体この晴れた空の下に何人いるのだろう。



さて、水上氏とかつての和菓子少年の話には続きがある。

彼らにはもうひとつ叶えなければならない夢があるのだ。新装出版も一つの通過点。しかし彼らの最終的な夢を叶えるためには、絶対になくてはならない通過点である。近頃はそんな二人三脚の夢を見守る人が増えてきているのか、「“想い”だけでも結構遠くへいけるようです」と手応えを感じている様子が頼もしい。一歩、一歩、歩み続ける。不可能の扉をあけ放つ日がくるまで。



「IKKOAN」
クリエイティブディレクション・企画編集 南木隆助
アートディレクション 川腰和徳
フォトグラファー 堀内 誠
プロデューサー 佐藤勇太
フォトレタッチャー 山田陽平
デザイン 入澤都美
仏文訳 セシル・ササキ
英文訳 メアリーベス・ウェルチ