2016年4月28日木曜日

マーティン・バースの新作展「New! Newer! Newest!」


今年ミラノを取材したジャーナリストから教えていただいた、マーティン・バース(Maarten Baas)の新作展「New! Newer! Newest!」について。調べてみるとやっぱりおもしろい。

華やかで豪勢な見本市会場からはだいぶ離れた町の片隅で、一匹狼的にものづくりの意味を問いかけつづけてきたバース。時にはデザイン界に対して批評的な視点を含むコンセプトも、ユーモラスなかたちや仕掛けをまとわせることでふんわりと笑顔のなかに包み込んでしまう。辛さとゆるさの絶妙なバランスがマーティン・バース。

今年はついに、“もの”ではなく“未来”をデザインしてみせた。バースの“新作”は200年かけないとつくれない。だから今はない。でも200年後、みんながこの世からとっくにいなくなって、デザインなんて言葉すらなくなっているかもしれない時に、太古21世紀の“新作”が目を覚ます。

ミラノでは新作以外には見向きもしないメディアやバイヤー、デザイン関係者。そんな彼らから「今年の新作はどれ?どれ?どれ?」と聞かれまくる出展デザイナーたち。お互い仕事だから仕方ないんだけれど、本当にそれでいいんだっけ。もうちょっとゆっくりできないんだっけ。今年で55回目というミラノサローネに向けて放った痛快な一撃、異才マーティン・バースならではの「新しさ」とは。

(以下、プレスリリースをだいたい意訳してみました)


「ワッツ・ニュー?!どれ、どれ?どれが新しいの、どれが最新?!」

(展示会で)こういった質問がひじょうにしばしば聞かれるため、マーティン・バースは「新しさ」とは何か、について真剣に考えてみることにしました。「実はそれってとても難しいことなんです。比較の問題ですから」とデザイナー。「一秒と一世紀の違い、単発的に盛り上がることと時間をかけて大きく変化することの違いについても、結局のところよくわかりません。しかし確信はありました。今回俺、“新しい”なにかをつくったんじゃないかって」。
バースは、フローニンゲンミュージアム(オランダ)の協力のもと、「空間」と「時間」という観点から2つのプロジェクトを立ち上げます。それは120ヘクタール(サッカー場200個分)の規模の敷地を使い、とんでもない時間をかけて作品をつくりあげるというもの。彼は今年、予測がつかないけれど極めて“新しい”活動を始める予定です。

The NEW Forest

「The NEW Forest」は時間とスケールに関する探究のプロジェクトである。グーグル・アースやドローンといった技術によって私たちは上空から見る景色に馴染んできた。そこで、惑星そのものを彫刻としてとらえることはできないか、あるいは、屋根をキャンバスとして見立てることはできないかと考えたのである。
このプロジェクトでは、葉や紅葉の色によって木々を分類し、特別な配置で植林する。その森が育つにつれ、デザインが少しずつ立ち現れてくるというわけだ。200年後の2216年までに森は生い茂り、上空からの景色はまさに「21世紀からの贈り物」といった様相を呈することだろう。上から見ると森は「NEW!」という文字を描いており、季節の変化によって異なる色の組み合わせを楽しむことができる。それこそ毎年、最新の「NEW!」を我々に見せてくれるはず。
「The NEW Forest」のための敷地にはオランダの人工島「Flevoland」の100ヘクタール(サッカー場約180個分※ママ)を予定。オランダ森林局が環境の取り組みの一環として指揮を執ることになっている。






The Tree Trunk Chair

「The Tree Trunk Chair」は200年かけて製造される椅子である。2世紀にわたり樹木に型を埋め込むことにより、幹は育ちながら少しずつ成形されていく。その後、型を取り除けば椅子は「収穫」可能だ。伐採してその部分を切り取れば、この21世紀のデザインをようやく使用することができる。
この技術は「Grown Furniture」(fullgrown.co.uk)で知られるデザイナーのギャヴィン・ムンロー(Gavin Munro)と共に開発し、フローニンゲンミュージアムが今後数百年にわたり木を管理していくことになる。最初の木は、今年中に同館の庭園内に植樹される予定だ。





詳しい内容、映像や画像についてはこちら(バースのサイト)をご覧ください。



5月4日追記(しかしながら上記とはまったく関係がありません)

「不可能なプロジェクト」について考えている。
そのプロジェクトはある直感的な出会いと共に私の頭のなかに浮かんだのだった。
最初はぼんやりと。できっこないけどそんなことがあれば素敵だな、と。でもきっと誰かが既にやっているんだろうな、というくらいに。それがだんだん、もしも、もしも誰もやっていないなら私がやるっていう可能性もなくはないのかな。もしも万が一私がやるとしたらどうやりたいかな。という具合に、ダメだダメだと自分でツッコミながらも抗いがたい妄想が膨らんできて、いつしか具体的なイメージを帯びはじめて、ある日、何かの弾みで誰かに伝えた時点でその「不可能なプロジェクト」はおんがあと産声をあげてしまったのである。
まじか。産んだからには、責任もって育てなければならない。不可能を可能にしなければならない。といいつつ、楽天家の私自身はそれほど不可能とは思っていないのだけれど。
それでマーティン・バースを思い出した。200年先のプロデュースだなんて耳を疑うようなプロジェクトも、最初は彼がぼんやりと思ったところからはじまったんじゃないかって。バースが言うことに対して表向きは「いいね」しつつ、心のなかで「バカバカしい」と一蹴していた人も少なくはなかっただろう。でもバースはたぶん楽観的に確信していた。俺、これやりたいし、やれるかも。で実際、実現しちゃう。200年後だけど。
そのことは私に夢を与えてくれる。実現できるのなら、200年後だっていい。ならば私が今、その種をまこうじゃないか。