幼い頃から娘をベビーカーに乗せて、美術館やらギャラリーを連れ回し、とにかく見せた。わかろうが、わかるまいが、とにかく浴びせるように作品を見せるのがいいことなのだ、と思いこんでいた。
写生コンテストで娘の絵が選ばれたことがあって、エスカレートした。しかし度が過ぎたらしく、遂に「アートなんてきらいだ」と言わせてしまった。娘には娘のやりたいこともあるし、遊びたい友達だっている。それもわかるし、なんとなく熱が冷めて(正直、面倒くさくもなり)、一緒に美術館には行かない時期が続いていた。森美術館のN.S.ハルシャ展(6月11日まで)の2日間のキッズ・ワークショップ「ナイト・ジャーニー:夜への旅」に申し込んだのは、そんなブランクを経て、久しぶりに「親子でアートを楽しめたらいいな」と思ってのことだった。
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ファシリテーターの人と一緒に作品を見る(1日目) |
南インド・マイソール拠点のアーティスト、ハルシャは子ども向けのワークショップでも知られる。今回は「東京にきてインスピレーションを受けて、はじめて試すプログラム」とのこと。やることは2つ。
(1)自分が考える「ヒーロー」に扮すること
(2)夜の街に出て、「光」を描くこと
なぜ「ヒーロー」かというと、「子どもたちこそ、未来をつくるヒーローだから」というハルシャの考えから。子どもがヒーローについて考えることは、未来の自分や世界について思いを巡らせるということなのだ。親子で話し合って考えてね、という宿題なのだが、これが難しかった。
8歳の娘は、女の子にとってのヒーロー(ヒロイン)とはアイドルのことだと思っている。「扮する」とはコスプレのことだと思っていて、「おへそを出したい」とか言う。私も8歳の時はそうだったのだろうか。
「まあそれでもいいんだけど、もうちょっとさ、カワイイとかキレイとかじゃなくて、ヒーローって困っている人を助けたり、世界を平和にするために悪と戦うとか」と振ってみるが、どうもそれは「女の子らしくない」とピンとこないようだ。
結局、ずるいのはわかっているが誘導してしまう。「じゃあさ、明日は夜の街に出て絵を描くわけだから、夜のヒーローなんてどうかな。夜の街から光をつかまえてきて、暗い世界を明るくしてくれる。どうせなら、みんなのなかで一番目立っちゃおうよ」「うん、それならいいよ」
私の黒いユニクロのセーターに、アルミホイルやすずらんテープ、家にあった装飾用のテープを細かく切って、2人でボンドで貼り付けていった。アルミホイルはできるだけたくさん貼ってキラキラの鱗みたいにして。
「夜のヒーローは街中の光をつかまえて、虫かごに入れるんだよ。そして、心の寂しい人がいたら配って元気にしてあげよう、アンパンマンみたいに」「このテープは涙みたいだね」「どうして」「泣いている人の涙と引き換えに光をプレゼントしているから」「すごくいいじゃない。明日はこれを着て、たくさん光をつかまえて、絵を描こうよ」
こういう時、親としては完全にほったらかして娘の想像力に任せるべきなのか悩む。でも、やってみてわかったのだけれど、傍観者になって見守るより、子どもと一緒にこの世界に入り込んで、同じ目線でやり取りする方が、たぶん親も楽しい。
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けやき坂に繰り出す(2日目) |
2日目は夕方5時半に美術館に集合。15人の子どもたち、それぞれのヒーローに着替える。サッカー好きな子はサッカー選手に、マンガ好きの女の子は手塚治虫に。「お母さんこそ英雄」だとエプロンを身につけて現れた子もいる。「未来の自分こそヒーロー」という男の子はいつもの格好で堂々と。みんないろいろ考えてきたんだなあ。
それから六本木ヒルズからけやき坂へ移動する。外はすでに暗くなっていて、街路灯、街路樹のライトアップ、行き交う自動車のヘッドライト、華やかなブランド店舗や飲食店の照明、少し先には東京タワーが濃紺の空にくっきりと浮かんでいる。夜の東京は随分と光にあふれている。それがハルシャの1つの視点だ。「夜間にはあまり外に出ない子どもたちにとって、夜の光とはどう映るのだろう。さあ、黒い画用紙に光を描いてみてください」。
そもそも夜に出歩くこと自体、子どもにとってはスペシャルな時間だ。小さなアーティストたちは、それぞれ自分だけの光を追いかけて、けやき坂に散り散りになった。娘は坂の一番下までかけ降りてゆき、「光る石」を見つけると、その前に陣取った。黒い画用紙を据え、「いざ」とパステルを振りかぶる。
私は「雨に消える椅子」のほうに座って、なるべく気配を消しつつ眺めた。「私ならこうするけどなあ」。思わず口を出しそうになるのをぐっとこらえる。キッズ・ワークショップというのは、大人にとって楽しくも試練の時間でもある。困っていたら助けたいが、決断する時と集中している時は子どもに任せるのがいい、たぶん。
娘はパステルを学校で使ったことがあるらしく、なんだかパフォーマー気取りで、鼻歌でも歌いながら指の腹でパステルを黒い画用紙の上に伸ばしていく。そこにハルシャがやってきて、「まるで魔法みたいだね」と娘に話しかけた。そして「一番光のまぶしいところには白いパステルを使うといいかもしれない」とアドバイスしてくれた。
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ハルシャと、ファシリテーターの吉田さんと |
この日はとても寒くて、冷たい風に身体が凍えたが、娘はお構いなしだった。「光る石」を描くのが少し落ち着いたところで、「まわりに反射している光はどうするの」と尋ねてみた。「夜のヒーローは光をつかまえることができるんじゃない」「目の前を走っているクルマのライトをつかまえちゃおうよ」。それで2人で両手で狙いを定めて、光を掴んで、画用紙の上に落とす振りをした。こうなったら、徹底的になりきるのだ。子ども、大人、関係ない。歩行者の人達からは奇異の目で見られたが、それも面白かった。2人にとって「生まれてはじめてのこと」をただひたすら楽しんだ。
美術館に戻ってから、全員の絵を並べてみんなで眺めたが、ハルシャはいちいち講評することもなく、1人ずつ感想を聞くなんてこともしなかった。そんなことをしなくても、言葉で確認しあわなくても、みんなが十分に満足していることを知っているからだ。「もちろんどの作品もすばらしいです。でも作品よりも大事なのは、あの時間のなかで子どもたちが何を感じたか、親子でどんなやりとりをしたか、ということなんです」。
アートとはモノではなく、コトである。
体験の強度の問題である。
空気のように、振動のように、五感から伝わるものである。
教えているつもりが、教わっていた。娘のおかげでそのことをやっと実感できた、新鮮な体験だった。
イベントのレポートは、森美術館のブログでも。