『月映(つくはえ)』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎
会期:2015年9月19日[土]―11月3日[火・祝]
つきばえ
月の光に照らされて、美しく映えること。
(出典:大辞林)
しかし、ここでは、つくはえ、と読む。
大正時代の終わりに若き画学生が3人で立ちあげた、詩と版画の雑誌のタイトルだ。
今で言うと、バンドを組んだり、ジンを作ったり、というところだろうか。竹久夢二という時代のスターに憧れ、この頃紹介されはじめた西洋のアーティストに影響され、当初は新しい時代に向けた新しい表現を志したことであろう。
なのに、ここで発表された小さな版画の数々は、若者らしいみずみずしさや反骨や野心よりは、なぜだか悲しみに満ちている。底抜けに暗いのだ。彼らの版画を前にして、真っ先に私の頭をよぎったのは「いったいいつまで生きられるのだろうか」という漠然とした不安のようなものだった。実際、3人のうち田中恭吉は結核に冒され、藤森静雄の妹も17歳で亡くなるなど、メンバーとその周辺には常に死の影がつきまとっていた。
『月映』の刊行期間はたった1年。ぎりぎりの命と金。生きることの意味を半ば強制的に問われ、今この瞬間に可能な答えを刃先に託して刻んだ版画は、それゆえの深遠と達観を表している。死を背負わない創造はどうもインチキくさい。『月映』以前の同人誌などで見せた軽妙でオシャレなペン画の類とはまるで別人別物である。
背景はおおむね漆黒または白夜の闇に包まれ、小さき人物は背を丸めてうつむき、祈り、あるいはのけぞっている。恩地幸四郎に至っては号を重ねるごとにウィリアム・ブレイクのような超越した宇宙観が研ぎ澄まされ、自身の深層へと潜りこむように極端な抽象化の道を突き進んでいく。でも絶望じゃない。今起きていることをじっと見つめ、戦っている。
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恩地幸四郎 扉[EX LIBRIS 死によりてあげらるる生] 1915 |
大正15年11月。『月映』は7号「告別」で終刊となり、最後に3日間だけの展覧会が行われた。田中は「告別」が出る前に亡くなっている。世間はスルーし、昭和に変わる時代の喧騒のなかで静かに忘れられていく。まるで夜明けの西の空に徐々に薄くなり、やがて透明に溶けていく月のように。
青春が青き春だなんてどこの国のおとぎ話か。きっと誰にでもある二十歳前後の孤独と漠然とした不安、敗北感、月を眺めて訳もなく涙を落とした頃。ままにならない理想と生活、でも生きていかなくちゃならない。青春とは、人生のままにならなさを心に刻みつける最初の季節なのかもしれない。でも若いから抗う。そんなことはないんだと、今はきついけど、きっとこの先には希望があるんだと、混沌の時代に底抜けに暗く静かに戦っている姿が『月映』の迫真の美しさなのかもしれない。
そういえばまもなく9月27日(日)は中秋の名月。満月は翌28日(月)とのこと。月の明るさは独りで泣くのにちょうどいい。たまには独り静か、自身の内側と向きあってみるとしようか。