ラジウム温泉とは、ラジウム(ウランが崩壊した放射性物質)やラドン(さらに崩壊した放射性物質)を含む温泉で、諸々の効能があるとされる。こちらでは鳥取県で採取されたラジウム鉱石を露天風呂に入れているということである。
ともあれ青空の下の風呂は気持ちがよい。見上げれば澄みきった秋の空と通天閣の展望台、横に目をやれば手づくり感あふれる和風庭園に心癒される。庭園の向こうにはアパートの窓が見えるがもはや気にもならない。どちらかというと気になるのは展望台のほうである。こちらから展望台が見えるということは、向こうからもこちらが丸見えなのではないだろうか。本日は時間の都合上、通天閣に上る積りはなかったのだが一度気になると確かめずにはいられない。少し早目に入浴を切り上げて、通天閣に立ち寄ることにした。私の予想では見えると思う。いや、見えたからと言って糾弾する積りもなく、自分のなかに湧き出でた好奇の心を満たす為だけに塔に上るのである。
脱衣所に戻ると、赤いエプロンをかけた婦人が甲斐甲斐しく清掃したり、備品の補充などをしていた。時折「赤じゃなかった、青だった。失敗したわ」などと独りごち、こんなにたくさん扉があったのかと驚くほどさまざまなところの大小の扉を鍵で開け閉めして自在に出たり入ったりしていた。何かあればこの人には逆らえないだろうと思った。
先に風呂からあがって着衣を完了した客がコイン投入式のドライヤーを頭部にあてていた。かなりの短髪と見受けたが、乾き切らぬうちに時間切れとなった。それでおそらくいつものことのように彼は勢いよく舌打ちした。その隣で私もまた20円を投入し、ドライヤーの電源を入れた。こちらもかなりの短髪であるが、やはり満足のいく仕上がりとなる前に時間切れとなり、倣って舌打ちした。あえて追加の20円を投入しないのがこの地の作法と見たため、鏡を睨みながら生乾きの髪を撫でつけた。鏡にはエプロン婦人がオロナミンCの瓶を冷蔵ケースのなかに淡々と補充している姿が映った。
まもなくどこぞの寄贈の時計が午前9時を示し、それを合図に客が何人か立て続けに番台を通過してきた。にわかに騒がしくなり、立ち去る時が来た。荷物をまとめ、名残惜しく脱衣所を見まわすとふと死角的な壁にピンク映画のポスターを見つけた。近くに上映館があるのだろうか、明朝がぷっくりと膨れ上がったような特徴ある字体でいくつかの作品名が列挙されていたが、特に「わるい夫婦」という字面が目に付いた。わるい夫婦とは、一体どのような夫婦であろうか。想像を巡らせかけたが、背後にエプロン婦人の気配を感じたのでそそくさと番台へと向かった。
番台の老婆は壁の向こう側にいる老アダムの話に附き合っていた。アダムはパンツのゴムが緩んでいてどうにもならない、というようなことを話しており、老婆はそれに餅付きのごとく絶妙な相槌を打っていた。私はすぐにでも塔へと向かわなければならなかったが、日々繰り返されている二人の間合いを断つのは無粋に思えた。そこで無言でプラスチックの番号札を番台に差し出すと、だからそんなことはわかっているんだとばかり即座に木札が戻ってきた。さらに無言で使用済みタオルを掲げると、老婆の視線が足元の赤いプラスチックかごに向けられた。ここでは清々しいまでにすべてが滞りなかった。
「ありがとう」
入ってきた時と同じ抑揚で低い声が聞こえ、自動扉がギャーと開いた。そこには相変わらず雄キリンが威風堂々と起って天を仰いでいたが、既になんとも思わなくなっていた。(終)