2015年10月28日水曜日

浮世絵から写真へー視覚の文明開化ー

日本のメディア史における、浮世絵から写真という移行期に焦点を当てた大変ユニークな視点の展覧会である。

浮世絵から写真へー視覚の文明開化ー
江戸東京博物館
2015年10月10日(土)~12月06日(日)


江戸時代に版画が普及して日本人は複製という概念を手に入れたが、1848年(嘉永元年)にダゲレオタイプ(銀板写真)が輸入され、より簡単にありのままに世界を描きとめる方法を知るのである。その3年後にはコロディオン湿板法(湿板写真)を導入した日本人初のカメラマン・上野彦馬が「ポトガラヒー」と記述。明治に入ると写真師という職業が生まれ、多くの写真館ができ、誰でも自分の姿の複製を作ることができるようになった。

本展ではそのあたりの、「写真」というメディアが確立するかしないかといううやむやした時代における新しい技術者たちの試行錯誤を紹介すると同時に、既存メディアの浮世絵サイドからもそうした新技術の台頭を「当世はやりもの」的に描いている様子など、新旧対照的に取り上げている点が興味深い。

そうしたなかでもアーティスト志向の人はいるわけで。単に写真をうまく撮るのでは物足りない。同じ肖像写真でも少し演出して変わったポージングや構図で、時には被写体を酒に酔わせてリラックスしたところを激写する写真家(横山松三郎)がいたり、下岡蓮杖の弟子で、子供の写真を上手に撮る「早撮りの江崎」で知られた江崎禮二は1700人の赤ん坊の写真を使ってなんとも言えないコラージュ作品を作ったりしている。

画家もまたこの新しいメディアを活用した。写真を撮ってそれを下書き代わりに精細な肖像画を描いた五姓田芳柳がおり、また先述の横山松三郎は印画紙の表面だけ薄く残すように裏面を削り、裏から油絵具で着彩する「写真油絵」という技法を開発した。この技術は、ある時代まで歴代東京都知事の肖像画に使われており、リアルともフェイクともつかない独特で不気味な(すみません)風合いを生み出している。

当時の写真は紙質の問題で劣化しやすかったのだろうか、かといって就任ごとに画家に頼んで肖像画を描いてもらうのは予算的時間的に厳しかったのかもしれない。写真油絵なら両者の中間的なところで、手軽に手描きの重厚さを演出できたのであろう。とはいえ写真油絵だって100年経てば劣化する。これが劣化するとなかなか壮絶な味わいとなるが、個人的には斬新なアートとして鑑賞に値すると思う。この技術は現代まで残らなかったようだが、どなたかまた再現してみてもらえないだろうか。

本展において来場者による撮影が許されたのは会場最後に展示された、佐藤寿々江氏による横綱白鵬関の優勝額である。これも実はモノクロ写真(ゼラチンシルバープリント)に油彩を施したもので、1951年から2013年まで同氏が優勝額を制作していたという。佐藤氏が引退した2014年以降はインクジェットプリントに切り替えられた。新しいメディアが普及していく裏側でひそかに失われていく技術と味がある。



毛利悠子がとまらない

ここ2年くらいだろうか、大型のグループ展で彼女の名を目にしないことはないほどの勢いである。この秋もスパイラルでのグループ展「スペクトラム──いまを見つめ未来を探す」で特別な存在感を見せ、アサヒ・アートスクエアの個展「感覚の観測:《I/O─ある作曲家の部屋》の場合」では、ヨコハマトリエンナーレ2014で発表した作品を再現して“観測して記録に残す”という試みに挑戦(どちらも会期終了)。現在、名古屋の「THE BEGINNINGS」展でも作品が展示されている(第一期の展示は30日で終了)。

《アーバン・マイニング:多島海》(部分)
「スペクトラム──いまを見つめ未来を探す」での展示。LEDの台頭によって役割を失った街路灯をクジラにたとえ、それが廃材(ごみ)とかすかに触れ合うことで、かつて街路灯が照らした都市の記憶のように光る、どこか切ない作品
「感覚の観測:《I/O─ある作曲家の部屋》の場合」(アサヒ・アートスクエア)

ひっぱりだこの理由を考えてみた。まず、当然ながら、ほかに見たことがない種類の表現であるということ。次に、現場ありき、ということ。すなわちどんなスケールや条件のスペースにも対応できる手法であるということだ。例えば、彼女の所属ギャラリーであるwaitingroomのような小さなスペースや、閉館した吉祥寺バウハウスシアターのエントランスのように何かと制限のある空間から、美術館の大展示室まで。毛利作品はたくさんの古物を持ち込み、与えられた空間と対話しながら自在に、即興的にインスタレーションを作り上げることができる。

そして美術の枠におさまらない超領域であるということ。昨年は、パフォーマンスの祭典「フェスティバル/トーキョー」でも出展を果たした。彼女のインスタレーションにおいては「音」が大切な要素となる。センサーを組み込み、複雑な回路でつながった古物のオブジェは楽器としても機能し、来場者が持ち込んだホコリや会場の湿度などの影響を受けて、まったく予想のつかないランダムな音楽を奏でる。インスタレーションであると同時にライブパフォーマンスでもあるということ。二度と同じ瞬間はなく、会期が終了すればすべて解体され、跡形もなくなる。来場した人の記憶にだけ残る音楽と風景。これが毛利作品の最大の特徴と言えるかもしれない。

でも、作家である以上、残したい。国立近代美術館で開催中の「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」と同じ問題意識で、一回性のインスタレーションをどう収集保管し、(作家がいなくても)再現展示するのかという課題。それに対する作家側のひとつの態度として、自らインスタレーションの制作過程を記録し、即興的な動きや音の出方を観測してデータ化しようとしたのが先述のアサヒ・アートスクエアでの実践であった。



どのような結果や視点が得られたのか分からないが、なんらかの形でまとめを公表してもらえたらと思う。毛利氏のように「今ここ」だけでなく未来まで視野に入れた制作姿勢というのはインスタレーションやパフォーマンス分野のアーティストにとっても参考になるところがあるのではないだろうか。「いやあ、あの時はすごかった」という第三者の口承と写真だけではやはり次世代の人には伝わらない部分が大きい。デュシャンのように難解なメモだけを残してあえてミステリアスな感じにしておくのも戦術だが、やはり伝説ではなく作品を残したい、という作家としての現実的な欲求(あるいは壮大な野心)にも大いに共感するのである。

話はそれたが、11月14日から横浜のBankART Studio NYKではじまる日産アートアワード2015のファイナリストにも堂々、その名を連ねている毛利さん。これまでの作風イメージを覆すような内容になりそうとのことなので今からとても楽しみである。良い意味で裏切られたい。それから来春2016年3月26日から森美術館で開催される恒例の「六本木クロッシング」にもラインナップされている。しばらく私の毛利ウォッチング行脚も忙しくなりそうだ。



本文とは関係ないが、毛利氏の写真作品「モレモレ東京」を真似して筆者が撮影したもの。「モレモレ東京」シリーズは、地下鉄の構内で漏れまくる水とそこに対する職員の奮闘的創造を激写したもので、なかなか壮絶なインスタレーションと見ることもできる

素材の出会い系

この秋のデザインウィークは「素材」が面白い。

会期が終了してしまったものもある。早くお伝えできればよかった。ジャンル問わずものを作る方に広く見ていただければよかった。

世の中には実にさまざまな技術や材料がある。

素晴らしい技術で可能性も十分あるのに、作り手とうまく出会えないがために埋もれてしまっているものがなんと多いことか。そう、出会いがない!!

そこで材料と作り手をマッチングするビジネスが登場する。言い方が相応しいか分からないけれど、マテリアルの出会い系。あるいはマテリアル紹介所。なんだかすみません。でも、ずばりそういうことです。

こうした材料コンサルティングでは、主に作り手の「こんなものを作りたいので何かいい材料ないかな」といった話(悩み)を聞き、膨大なデータベースからそのニーズに合いそうな材料とメーカーを紹介する。あとは個人同士のやり取り次第だ。

とあるコンサルティングの場合、作り手は材料や加工技術のデータベースを閲覧したり、カウンセリングを受ける際にいくばくかの利用料を支払うことになる。しかし自力でイチから探したり、出会い運を天に任せるよりは高い確率と効率性を得られる。海外のユニークな材料にアクセスできるところもメリットだ。

話題のTPPが順次発効していけば今後こうしたサービスは増えてくるだろう。メーカー側にとっても特性ある材料を積極的に外に紹介していくチャンスでもある。

ともあれ、ものを作る人は、合同展示会のほかにもこうした出会いの選択肢がある、というということを知っておくとよいかもしれない。またプロだけでなく学生のうちから材料や技術のデータベースに触れてボキャブラリを蓄積しておくことも有効かと思う。教育機関などがこうしたファームと契約して学生向けの閲覧サービスを提供できるなら素敵だ。

よい出会いを。


青山ではマテリアルの合同展示会「青フェス」を開催(10月25日~27日)。(株)SHINDOは光ファイバーやLEDを編み込んだテキスタイルを発表。洗濯も可能とのこと
金沢のカタニ産業は金箔の新しい技術を展示。着色箔はカラーバリエーションも豊富
昭和飛行機工業はアルミのハニカム技術を紹介。「FLEXハニカム」は曲面の成形が可能な材料
屋上ではデザイナーがマテリアルの実験的な試みを発表していた
「動の和紙」STUDIO BYCOLOR
手漉き和紙の製造工程にエキスパンドメタルを使うことで独特のテクスチャーを生み出している
「mold」小宮山洋
射出成型によってできたばかりの熱いアクリル樹脂を床に落としたり、膨らませたりして個性を与えるプロジェクト

「R-FRP」kamina & C
皮革やフェルトの裏面にレジンを塗布し、柔らかいテクスチャーを維持しながら強度をもたせるというユニークな実験

「Composition」TAKT PROJECT
アクリル樹脂に電子部品を封入したもの。電気が通る素材なのでパーツが実際に機能し、LEDが点灯する
外苑前のMaterial ConneXion Tokyo(マテリアル コネクション トーキョー)では、デザイナー5組が新しい素材を使ったプロトタイプを発表中
大規模なマテリアルのライブラリー(マテリアル コネクション)

2015年10月27日火曜日

Any Tokyo 2015

ものづくりの流れは時とともにうつり変わり、企画者やデザイナーも新しい発表の場や在り方を模索していく。

情報がすばやく発散し収束していくような時代、リアルなデザインイベントに求められる役割とは派手な演出や満載のお祭り感というよりは、人間同士の密な対話であったり、ものが発する存在感を肌で感じられること。ものと向き合う静かな時間、かもしれない。

「デザイン」という言葉が一巡して、いっとき「アート」にもなって、でもやっぱりもう一度、腰を据えて「デザイン」。

増上寺で開催されている「Any Tokyo」は、そんな今にちょうどいい規模感のデザインイベントだ。

Any Tokyo 2015
増上寺(光摂殿)
2015年10月24日(土)~ 11月3日(火・祝)


ちゃんと「もの」が主役で、そばに作った人がいて、一人ひとりに思いや考えを伝える。来場者もフィードバックする。一言でいえば正統派のデザインイベント。広い空間に16組ゆったりと配置され、がちゃがちゃしていない。無機質なパーテーションもなく、デザイナー同士が歩みよって声をかけあえる自由度がある。KanSanoによるピアノのサウンドインスタレーションが会話を邪魔しない程度に流れ、サロンのようないい雰囲気だ。こういうの定期的に行われないかなあ。もっと見たい!

出展については、驚くようなアイデアやメッセージ性はさておき、まず、ものを作ることに対して丁寧に向き合っている人が揃ったなあという印象。「デザイナー」である前に「作り手」である、と見える。自ら手を動かすことを楽しみ、発想がおもむくまま作ってみる。ものづくりの根っこみたいなところで素直に取り組んでいる人が多く、こちらも素直に共感した次第だ。結局、言葉よりも思いが先行するものには心に残る強さがある。

「SHIZUKU」BLUEVOX!
漆をひたすら塗り重ねることで形を作る「即色堆漆(そくしきついしつ)」という新しい技法を用いた酒器。

「Nebbia Interactive Light」nbt.STUDIO
台湾のデザイナー、ヘンリー・シャオ(Henry K.T. Hsiao)による壁面照明。同国で年間100万台廃棄されるというテレビのフィルムをリユース。

また、ユーザーが手を加えることで完成する参加型の作品もあり、これもワークショップ時代らしい傾向かもしれない。みんなだって本当は作りたいし、やってみたい。デザインをオープン化したり、ユーザーのモチベーションをオーガナイズしていくことも、これからのデザイナーのひとつの役割になるかもしれない。

「Dye It Yourself」TAKT PROJECT
工業用フィルタとして使われている吸水性プラスチックを家具という“支持体”に。これでぜひワークショップしてほしい!

2015年10月19日月曜日

大人のつみき

子供を建築家にしたいなら、つみきをやらせた方がいい。

それはもう、フランク・ゲーリー氏や隈研吾氏、世界で活躍する建築家の方々が自身の建築の原体験について語る時、「つみきで遊んでいた」と仰るので。つみきはきっと、建築に必要な、また建築だけでなくものをつくること全般においてなにか大切な感覚を育ててくれるのだろう。

じゃあ、つみきは子供だけのものかといったらそうじゃない。

大人だってきっと楽しい。

頭を使ってパズルを解くようなものではなく、またお手本どおりに組み上げるようなものでもなく、感覚に任せてひたすら積み上げたり、並べたり、壊してはまた積んで、といったような遊び方だ。昨日はこう積んだが、今日はこっちの方がしっくりくる、ということもあるかもしれない。

できれば箱にしまったりせず、仕事机の上やトイレの片隅とか、一人で居る場所に常設しておく。で、気になったらちょっと積んでみる。たぶん誰にも理解されないけど、それでいい。自分の感性と手触りだけの世界に埋没してみる。

脳トレ、とか、オブジェ、とか考えるともうつまらない。そこにあるからさわる程度の関係性がふさわしい。自分のなかで何かが変わるかもしれないけれど、まあたぶん変わらないだろう程度の低い期待感が丁度よい。ときどき妖怪のしわざで配置が若干変わるかもしれない。そういう無言の応酬が発生したら、それはそれで少し楽しい。

答えや満足なんて見つからなくったっていい。それがつみきのいいところ。

この秋、東京でもそんな“大人のつみき”がちらほら。


建築家 フランク・ゲーリー展
21_21 DESIGN SIGHT
~2016年2月7日まで

フランク・ゲーリー展
ル・ルボ脳研究所(アメリカ・ラスベガス、2005)のためのスタディ

フランク・ゲーリー展
エイト・スプルース・ストリート(アメリカ・ニューヨーク、2003)の模型

「つみきのひろば」
東京ミッドタウン・ガーデン 芝生広場ほか
~11月3日まで

「つみきのひろば」
建築家/美術家 佐野文彦「木ヲ見て森ヲ見ズ 森ヲ見て木ヲ見ズ」

隈研吾氏とmore treesが開発した「つみき」のインスタレーション




toolbox exhibition "toolbox"
B GALLERY
~ 10月28日まで
toolbox「建築するつみき」



2015年10月16日金曜日

逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし

日常こそ素晴らしい。

巷では「Peeping Life」という脱力アニメが話題になっているようだが、そう、まさに日々の脱力の営みこそ最上のエンターテインメント、というわけだ。

なぜだろう。嘘みたいな本当みたいな事件や想像を絶する事故が多すぎるからだろうか。毎週毎週なにかのイベントがあってハレの日ばかり続いて、少々疲れてしまったのだろうか。で、ちょっと死んだような目で振り返ってみると、どうも身近な生活が意外におもしろいかもしれない、と思えてくる。作為なき人々のなにげないやりとりのなかに、人間の本質みたいなものが垣間見えたりして、深い。日常、きてる。

そんな時代に待望の久隅守景展だ。謎が多くて、色々不遇だったりもする江戸時代の絵師。よく知られているのは国宝「夕顔棚納涼図屏風」だが、実物を見るのは初めてだ。

逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし
サントリー美術館
2015年10月10日(土)~11月29日(日)


初期は狩野派の期待の新星として探幽師匠から可愛がられ、地位を約束されるなど輝かしき絵師道を順調に歩んでいる人だった。でも、同じく絵の道に進んだ息子や娘が“しでかした”こともあって、そのためかお父さん、何かズレちゃったんだな。まあ、アーティストなのでもともとズレてたのかもしれないけれど。お金持ちに頼まれてお手本どおりに鷹だの花だの描いて出世しても、本当はあんまり楽しくなかった、のかもしれない。

いろいろあって自分の意志かどうかはともかく金沢に移ってからは、主に農民の生活を描いた。ビッグメゾンで都会生活に慣れていたから、画題として田園風景がとても珍しく素敵に見えた、のかもしれない。あるいは新天地のパトロンが変わり者だったのかも。

春の種まきから、夏の日の水田をお世話して、やがてくる秋に収穫し、冬には女たちが機織りなどして生計を立てる。一年の人々の暮らしを、六曲一双の屏風にまるで流れるように描いた「四季耕作図」はどこまでものどかで平和で、山の風すら感じられるようで、いつまもで眺めていられる。

遠くから眺めてもゆったりしていいのだけれど、近寄って見るとこれがまた面白い。人物一人ひとりの表情が生き生きしている。それこそ「Peeping Life」みたいなどうでもいいやり取りが聞こえてきそうだ。一生懸命田んぼに水を撒いている二人もいれば、どこかに向かうのか帰りなのか道端で一人、満月を見上げている孤独な男の姿もある。猿使いの芸を楽しみ、忙しい作業の合間に休息を得る家族もあれば、山奥ではキジの親子が羽をバタつかせて何かしている。何してるんだ。

「夕顔棚納涼図屏風」も、守景が金沢にいた頃の作品だという。思っていたより大きく、二曲一隻の紙本墨画淡彩。余白のとりかたが大胆だ。左上には溶けかかったお月さま。右下に、ヒョウタンがたわわに実る棚の下でくつろぐ3人の親子。月が出ているから夜なんだろうけれど、彼らの視線はちょっとその下の遠方に向かっている。祭りの見物ほどはエキサイトしていないようだが、一体何をを眺めているのだろう。蛍とか。

胸板厚めのマッチョな父ちゃんは頬杖をつき、色白の母ちゃんは上半身はだけて、ボク(少年)もちょっと着物が脱げかかっているけれど、よほど暑いのだろう。レジャーシートよろしくゴザの上でごろごろしている様子はとても他人事とは思えず、なんだか親近感がわいてしまって「私も混ぜておくれ」と呼びかけたくなるほどいい感じだ。

そりゃ生活してりゃ毎日大変だし、また戦争あるかもしれないし、悩みも尽きぬだろうけれど。でもほんの束の間こうやって家族水入らずでさ、今この瞬間を平和に生きている幸せを噛みしめるような、そんな時間があったっていいじゃない。ほらご覧、月もきれいだよ。

守景の視線はどこまでも優しい。もしかしたらうらやましかったのかもしれない。あるいは自分が理想とする生活を描いたのか。真実はどうあれ、市井の人々のまるで観音様のように穏やかな表情を眺めていると、「なにげないケの日々こそ一番美しく尊いのではないかね」という波乱に満ちた天才絵師の切実なメッセージがしんと伝わってきそうである。

2015年10月13日火曜日

世界のヒョウタン展 ―人類の原器―

まず、そのかたちがいいじゃないですか。

なんだかおめでたい存在感。

国立科学博物館
世界のヒョウタン展 ―人類の原器―
2015年9月15日(火)~12月6日(日)


軽くて、密閉できて、手に入りやすくて、加工しやすい。ひょうたんって本当に優れた材料である。土器の原点ともいわれる。人類がひょうたんを発見しなかったらどうなっていたことだろう。

で、水入れやもの入れなど保管と移動に必要な容器としてだけでなく、装飾品や楽器など文化や精神を豊かにする道具、鑑賞の品としても、みんなが好んで使いたくなるところがひょうたんのすごさだ。貝殻や紐で飾りつけたり、ちょっとファンシーな彫刻など施してみたくなるような支持体としてのポテンシャルがある。たぶんこの、5:3:7の豊満なフォルムと撫で撫でしたくなるテクスチャが重要なんだと思う。つまり、色気ですなあ。







そういうわけで世界各国の珍しいひょうたんグッズが所狭しと並んだ本展。個人的には、全日本愛瓢会なる組織(名誉総裁は秋篠宮文仁殿下)が創立40周年を迎えたことに感銘を受けました。以下の綱領も素敵です。


瓢道 綱領

一、飄々を旨とし小事にこだわるべからず。

二、円相は平和の象徴、和を第一と心得べし。

三、くびれは奢りの戒め、謙虚を旨とすべし。

四、空は無欲の鑑、利に走るべからず。

五、不沈は不屈のあかし、精神力こそ肝心なり。


全日本愛瓢会(平成七年一〇月吉日制定)

(※全日本愛瓢会のHPより)


 本展でカタログのようなものはないが、同館一階のミュージアムショップで民族植物学の湯浅浩史先生による『ヒョウタン文化誌――人類とともに一万年』(岩波新書)が販売されていて、内容もわかりやすくて面白く、大変勉強になる。本展の展示物の多くが湯浅先生が世界各国を回って収集したコレクションとなる。ひょうたんに魅せられた研究者の情熱にも思いをはせたい。

LABYRINTH OF UNDERCOVER

このところ、自分のなかでなんとなくお洒落しにくい雰囲気というか、挑戦することがめんどくさくなりかけていたのだけれど。

東京オペラシティ アートギャラリー
LABYRINTH OF UNDERCOVER “25 year retrospective”
2015年10月10日[土]─ 12月23日[水・祝]


ああ、服はやっぱり面白いな。まるで音楽を聞いているような服だ。あるときはロック、あるときはオペラ。あるときは雑音のような、複雑で深いところから、内側から、奥の奥からゆっくりと爆発していくような、傷だらけの音楽を着てみたい、と衝動的に思った。

その衝動は、自分がどう見られるか、といった受け身の弱弱しい取捨選択とは無縁で、むしろ誰にどう見られたってかまやしない。この服を通じて自分のなかの個と向き合ってみたい。単純に服を着る着ないじゃなくて、作り手の演奏を受けて立ちたい。まあどうせ負けるけれども、いつだって私は服に敗北してきたわけだけれど。こんなに心を揺らす服があるなら、自分のなかでわずかに生き残っている叛逆心をえぐりだしてみようか。頭で作られた服じゃないなら、こちらも心で斬る覚悟で。


2015年10月9日金曜日

中村政人 個展「明るい絶望」

うねり、どよめき、胎動。

新しいものが生まれていく、そんな渦のなかに飛び込みながらも、そのまなざしは常に少し中心から離れている。

これまでアーツ千代田3331の展覧会に行っても、いつだってディレクター中村政人氏は少し離れたところから見ていた。

いつも一歩離れて見ている。

にこやかだけれど、ほんの少し眉を寄せている。

「ん?」と思っている。

「明るい絶望」。

それがアーティスト中村政人氏の視点だ。

今回はそんな人が10年ぶりの個展をほかならぬ、氏のアイデンティティでもあるような場所、アーツ千代田3331で開く。

この10年、地域のことを耕してきた。中心から一歩離れて色んなことを育ててきた。だけど、いよいよ満を持して、ここ、東京のど真ん中でやる。さあ、やっとこさ見られる。

で、やっとこさ渦の中心に立った(立ってみた)中村さん、大きな身体を少し丸めて、気のせいかもしれないけれど、それでもやっぱりそこから一歩離れていたいように見えた。ストイックなまでに自分中心ではない人、なのかな。


会場の大部分を占める展示として、ソウル、大阪、東京と各都市の90年代(1989-94年)が700枚という夥しい数の写真で綴られている(それでも4万枚から選んだそう)。うねり、どよめき、胎動。70年代も、90年代も、街で起きていることは結局変わらないんじゃないか。

写真を懐かしがる声も聞かれるけれど、渾身の新作インスタレーションこそ、ぜひ。


中村政人 個展「明るい絶望」
アーツ千代田 3331 1F メインギャラリー
2015年10月10日(土)~11月23日(月・祝)/


2015年10月8日木曜日

Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演


16ミリフィルムが3巻分。長さにして3、4百メートルくらいだろうか、黒くて細いテープが会場を横断するようにおかれた2台の映写機のあいだを回り続けている。

2台の映写機は対面する2つの壁に向かって波立つ海面の映像を映し出しているが、フィルムには無数の傷がついているためか緑色や青色っぽい細かなノイズがそれ自体さざ波のように海面にオーバーラップしている。

フィルムはあまりにも長く、映写機からだらりと垂れ下がり、反対側の映写機に引っ張られてカサカサと乾いた音をたてながら蛇のように床をゆっくりと這っていく。うねり、絡まりそうになると、会場のスタッフが駆け寄ってきてほどく。

床はフィルムを摩擦し、次第に傷つけていく。海面の映像はループされるが、新たなノイズが上書きされるため二度と同じ映像にはならない。これは彦坂尚嘉の「アップライト・シー」(1972)という作品だが、空間と時間そしてフィルムという「もの」が即興的に作り出すライブパフォーマンスなのである。

別の作品を見てみよう。

植松奎二の「Earth point project」(1972)は、街などの風景映像が投影されているスクリーンの中央に四角い鏡がとりつけられている。そのためスクリーン上では鏡の部分だけ映像が抜かれているが、振り返ると反対側の壁に鏡が跳ね返した部分の映像が映し出されている。

河口龍夫のプロジェクト(1972、題名不明すみません)は、2台のカメラを横に並べて風景の一部が重なるように国道を撮影したものを、会場では2面のスクリーンの間を離して映写している。そのため画面を横切っていく自動車や歩行者の動きと時間にズレが生じる。これも、映像における時間と空間について問う作品だ。

ほかにも日本現代美術の熱き時代を担ったそうそうたるアーティストたちが総勢16名、「第5回現代の造形 <映像表現 '72>―もの・場・時間・空間―Equivalent Cinema」(京都市美術館大陳列室)という展覧会で文字通り“映像を造形する”ことに挑戦した。時は1972年、今から43年前のことである。

そして現在。

東京国立近代美術館にて、この展覧会を“再演、再生(Re:play)”と称して紹介している。いわば、展覧会の展覧会である。

東京国立近代美術館
Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演
2015.10.6 - 12.13



「Re: play 1972/2015」展では、72年当時の会場構成プランや記録写真などから、各作品の設置位置やスクリーンサイズを割り出し、90%の縮尺で再現。その外周には現存作家による証言映像や資料などを展示し、当時の状況や制作意図についての理解を助ける。一部の作家は亡くなって作品が紛失するなど展示できなかったものもあるが、その場合には当時のスクリーンサイズを点線で示し、記録写真と機材の展示によって雰囲気を補っている。

希少なフィルムおよびスライドの映写機やブラウン管テレビなどを稼働させ、また今や現像サービスのない8ミリフィルムについては、保存のためデジタル化してから複製を試みるなど、東京国立近代美術館フィルムセンターとのタッグによる調査研究の成果としても享受できるだろう。

一方で、本展を70年代の映像作品の回顧であるとか、ノスタルジーや骨董趣味的な企画として見る向きがあるとしたら、それは大きな誤解であることを実際に見て感銘を受けた者として特に伝えておきたいと思う。

企画の動機として、まずフィルム作品の収集・保存という美術館としての本来の使命があったこと。おそらくフィルムセンターの成果として展覧会の開催が望まれたこと。その上で、43年前の京都で行われ、さほど大きな動員ではなく、展評も少なく、協賛だってきっとないに等しかった、簡単にいえば世間的にはスルーされたであろう、この小さくも革新的な展覧会を“再演”の題材として選んだことに本展企画者のコンセプチュアルな姿勢と意欲を感じる。

72年当時、日本のカルチャーが美術に限らず音楽、演劇、文学、マンガなどさまざまなジャンルが混交しあいながら大きなうねりを生み出していたさなか、血気盛んな作家たちがそれらをつなぐ媒介として8ミリやビデオなどの機器に興味を示し、実際に実験的な作品を作りはじめていた。多くの場合、それらが映画や映像作品であったのに対し、<映像表現 '72>は、前身となる展覧会が彫刻展であったことからもわかるように、映像による造形の可能性を目指したものであり、映像機器あるいは撮影という行為自体を解体し、映像表現の本質に踏み込もうとする壮大なインスタレーションだったのである。(当時はインスタレーションなんて言わなかっただろうから、プロジェクション・パフォーマンス(彦坂尚嘉)とか)

会場に足を踏み入れればわかるが、床にはフィルムが散らばり、林立する映写機は音をたてながら様々な方向に映像を投影しており、それらが網目のように交差している。順路などもなく、来場者は意図せず自身の影すらスクリーンに紛れ込ませながら、光と影の森のなかに身を投げだし、映像と戯れるような感覚を味わうことだろう。まさに映像の「もの」「場」「時間」「空間」としての意味を身体全体に問いかけてくるような体験であり、その問いかけは43年経た、デジタルメディアが主流となった現代にも有効なのである。

かさねがさね、企画者が展覧会の再現ではなくあくまで“再演”としたことに、彼らの「現代の我々に何を見せたいか」という未来に向けた高い志を感じとりたい。これこそ国立美術館の仕事であると思うし、やるべきこととやりたいことを貫き通した感じが素人にだってひしと伝わってくる。本展に取り組まれた学芸員ならびに会場設計を担当した建築家、関係者に、一鑑賞者として心から敬意を表したい。ほんとにすごい展覧会です、これは。




ところで余談ではあるが、もし本展に来場されたならば、カタログ(500円)を購入することをお薦めしたい。このカタログも実に凝っていて、当時発行された概ねハガキサイズのカード型のものをそのまま“再演”しているのである。それは、映画のように決められた時間軸と空間のしばりをなくす、という<映像表現 '72>展のコンセプトをカタログにも採用したもので、どのカードから見ても構わないのである(バラバラになるので少々扱いにくいが)。協賛金を集めるためか、大阪の喫茶店や百貨店などの広告カードも入っており、それらも当時の前衛的な雰囲気を知る一助となる。

で、その広告の中に一枚、新京極ピカデリーの成人映画「情欲エロフェッショナル」<カラー作品>なるものが入っている。「むせかえる女体の乱無」「豊満た肉体」「スエーデン式」など誤字と謎の多いコピーや妖艶な画像をしばらく凝視しながら<映像表現 '72>との関連について考察してみたが、結論として「まあ、いろいろ大変だったんだな」との思いを巡らせるに至った。確かにスエーデン式云々も「映像表現 '72」と言えなくもなく、多少議論もあったことと思うが、この刺激的な広告まで徹底して“再演”してくださった関係者一同の心意気に改めて脱帽するものである。

2015年10月5日月曜日

「Don't Follow the Wind」Non-Visitor Center

夜、目が覚めた。

夜、というよりも明け方に近い時間だった。ベランダに出るとまだ空は暗く、真上には半分ほどの月が出ている。ピークを過ぎた虫の音が弱弱しく、耳に届く。風が吹き、秋がやってくる。

喉が渇いていることに気づき、湯を沸かして茶を淹れた。こんな時間に起きてしまった理由は分からない。なんとなく落ち着かなかった。頭にこびりついた映像の残骸を手繰り寄せる。

それは街の映像だった。はたして街と呼んでよいのか分からない、かつての街のような場所。それなりの高さがありそうな雑草が赴くままぼうぼうに画面を覆っており、その隙間に一軒の家が見えた。廃墟と呼ぶにはまだ新しいような二階建ての家だ。もう少し近づいて見たいと思うがかなわず、ほどなくして画面は切り替わり、また別の路地が映し出された。先ほどのものよりも、住宅地と呼んでもさしつかえなさそうな家並みがあり、道には何も照らさない街灯がぽつんと立っていた。

そんな風にして、会場のモニターは、街、のようなものをいくつか交互に映し出した。画面の上部には現在の時刻が秒単位まで表示されている。この時私は青山にいて美術館でその映像を眺めていた。同じ時刻、同じ国、同じような街。でも画面のこちらとあちらでは決定的に違うことがあった。あちら側は東京電力福島第一原発事故に伴う「帰還困難区域」と呼ばれている場所だった。



街、と見えたものは街として機能していなかった。時間が止まってしまったかのような景色。そこではいったいどんな音がしているのだろう。ぼうぼうの草が風に揺れている。私たちは、そこになぜ人がいないのかを知っている。「見えない」あれから避難するためだ。見えない、のに間違いなくそこにあって、支配しているもの。その支配はいつまで続くか分からない。

その封鎖されたエリアのなかで展覧会が行われているという。特別に許可を得て4か所に10数組の作家による作品が設置された。当然、誰も見ることはできない。立ち入り制限が解除されるまで。

ふと思った。こちらとあちらに境界なんてものはあるのか。風が吹いている。見えない、のだから、それはこちらにだってあるかもしれない。見えない何か、とは、もちろん放射性物質のことでもあるし、きっとそれだけではない。ある時代にはおそらく希望であり、ある時代には放たれた悪魔であり、もっと言えばそれを許した社会のシステムであり、日本の歩みであり、科学技術であり、誰かの商売であり、さまざまな立場や人生であり、心であり、突き詰めれば「コンセプト」なのである。とんでもない展覧会である。

でも、無理に美術と結び付けるのはやめよう。それはプロに任せよう。

「Don't Follow the Wind」Non-Visitor Center
ワタリウム美術館
2015年9月19日[土]-10月18日[日]



見えない

のと、

見ない

は違う。

暗闇のなかで刃先を突き付けられていることを知ったら、私は恐怖しながら懸命に目をこらすだろう。刃の形や大きさを、その向きを想像しようとするだろう。そのイメージは妄想となって恐怖を増大化させるかもしれない。だとしても、手のひらをめいっぱい開き、あらゆる感覚をフル稼働させてなんとかその気配を感じようとするだろう。

私たちは普段、目を閉じている。閉じていても生きていける仕組みができあがっているし、その方が楽だからだ。でももし、その仕組みが壊れているかもしれない、と思ったなら、その目を開く時だ。

もしもここに来て何も「見えない」ことにフラストレーションを感じたのなら、それはきっとひとつのはじまりだ。人間は基本的には見たい生き物だと思う。懸命に見ようとすることで新しい回路ができて、私たちはいつかきっと見る方法を見つけるはずだ。


しかし書いていたら、なんだかまた眠くなってきた。これからやっと一日がはじまるというのに。

東からのぼってくるお日様がこの平和な街をゆっくりと照らす。どこか遠くで起きた犬が吠えている。柔らかい光とともにさまざまなものどもが視界に入ってきて、私はまた心の目を閉じようとしてしまう。おやすみなさい。眠るな、眠っちゃだめだよ、と心の声が言うけどやっぱり聞こえないふりをしていたい。声は私を呼び続ける。眠るな。今すぐ目をあけなよ。いいから目をあけろ、目をあけろ、目をあけろ、目をあけろ・・・・





(追記)


本展では、見えない、ことから派生する、共有(発信)できない、というフラストレーションもあるだろう。誰も見にいくことができない、という制約事項は、それにゆえにすべてを“たいら”にする。

共有の名の下に、情報をもつ人ともらう人のあいだに生じていた格差。例えば、被災地に赴いた人、デモに参加した人、あのフェスやあの芸術祭に出かけた人、すなわち、わざわざリスクを負ってアクションし、現場に身をおいた目撃者とそうでない人のあいだにある温度差。「私は行かなかった(見なかった)」と言うことの小さな後ろめたさ。つまりは境界。

拡散メディアによる共有という善意の(?)文化は一見世界をたいらにしたかのように見えたが、実際には「差」を築き、見た人と見なかった人の間に強いコントラストをもたらした。テキスト化、ピクセル化されない情報はまるで無いも同然だ。誰かが情報を共有すればするほど世界は選り分けられ、いっそう小さく、不自由になっていないか。

だったら共有(取り合い)などさせないように、群衆にボールを投じなければいい。そのかわりに剃刀を手渡そう。「アンダルシアの犬」のように、使い物にならない狭い目を切りひらき、想像という新しい視界をもたらそう。あるいは「盲人書簡」(寺山修司)のように、暗闇でマッチを3本だけ手渡そう。本展においては、カタログやトークなどがマッチにあたるかもしれない。あとは現地で何が起きているか、自分で考えて想像するしかない。イメージしろ。思い描け。それが現実だ。

2015年10月2日金曜日

ニキ・ド・サンファル展

男性にとって父親というものが乗り越えたい存在であるとしたら、
女性にとっての母親もまた然りである。

太陽のように輝き、家庭に君臨する母親を、娘はまぶしく見つめ、愛しながらも憎んできた。なぜこの人はこんなに私に厳しいのだろう。凝り固まった価値観に縛られた気の毒な母親。こんな大人には絶対になりたくない。私だって男性のようにもっと自由に生きたい。女性が社会的に活躍しはじめた時代のなかで、母親に代表される古い女性像こそ、まず最初に乗り越えなければならない壁だった。

やがて少女は成長し、好き勝手に恋をして、結婚して、家庭をもった。そして気づけば、いつの間にか母親と同じような立場に置かれている。かつての倒すべき「敵」と同じような道を平凡かつ単調に歩んでいる。毎日、起きて、家事して、全然言うことをきかない子供らの世話をして。これでよかったんだっけか。なんかもっとこう、何かあったんじゃなかったっけ、ねえ、お母さん。私、今もちろん幸せだけど、すこぶる平和だけど、私の人生って何なんだろう。女っていったい何なんだろう!?

ニキ・ド・サンファル展
国立新美術館
2015年9月18日(金)~12月14日(月)

ニキ・ド・サンファルの作品を眺めていると、女の一生、ということを思う。それぞれに様々な事情があるにせよ、あの頃の少なからぬ少女たちと同じように、ニキもまた母親を愛しながら憎み、定められた女性性に懸命に抵抗していた。

ニキを一躍有名にした60年代の「射撃絵画」では、支持体に埋め込まれたペンキめがけてライフルをぶっ放した。愛くるしい顔立ちに、純白のパンツスーツをまとった細身の身体。銃を構えて的を睨みつける勇ましい姿は、大人の女性になることを拒否して冒険を続ける女版ピーター・パンのようだ。その後、悪趣味なほど無数の小さなオブジェを固めて作ったおどろおどろしいモンスターや女性像のシリーズなど、とにかく自身の足かせと認識したものに対しては攻撃的な態度で粉々に打ち砕こうとした。

女性という生き物は、初潮を迎え、子を産み、その姿と心、そして環境をどんどん変容させていく。自身の出産、あるいは友人の妊娠などを通じて、ニキはこれまで自分が戦いを挑んできた己のなかの「女性」なるものと真正面から対峙することになる。どうしたって、おんな、であることを認めざるを得ない時がくる、というか。もっと嫌な言い方をすれば、表現の上でも、おんな、であることの価値を見出した、というか。

「フェミニズム」を公言しつつも、内心はやっぱりまっぴらごめんだと思っている(たぶん)。なぜって、そう簡単に過去の自分と和解できるわけがない。そんなに人生単純じゃない。でも女として生きていくことを決めたからには、しょうがない、これでやっていかなくちゃあなるまい。むしろ、そんな男前な覚悟が、女神「ナナ」シリーズ以降の、カラフルでたっぷりとして、陽気に伸びあがるようなポーズの大型作品(彼女自身ではないことは明らかだ)に見えてくるような気がする。

お覚悟はよろしくて、とばかり、大きくて、パワフルで、開放的に。男性が怖気づいてしまいそうな存在感と高揚感にあふれた女神像は70年代80年代の、自由と力と消費を実力で謳歌しはじめた女性たちを大いに奮い立たせたことだろう。日本人の支援者である実業家、増田静江氏(Yoko)もきっとその一人。その後、ニキは各国への旅を経て、色、モザイク、反射、といったニキをニキたらしめる要素が固まってきたところで、彼女自身のメタモルフォーゼと理想の女性像を追い求める旅はやっと終わった、終われた、のかもしれない。

<ブッダ>1999年、Yoko 増田静江コレクション
 
男性に対応するものとしての女性ではなく、誰かのせいでもなく、まず自分が、おんな、であることをしっかり受けとめることができた瞬間に女性は本当に強くなれるのかもしれない。私自身はまだまだ未熟だ。いい年して母親とケンカして口をきかなくなるし、男だったらいいのにな!!っていまだに思うし。それでも、最近は昔ほどの拒否感はなくなった。ナナを見て、おんな、っていう不思議で複雑な生き物でもいいのかなって思うようにはなった。のらりくらりと逃げていないで、私もそろそろ覚悟を決めるかなあ。