2017年1月31日火曜日

死と芸術と生

いよいよ7日から。よかったら足を運んでみてください。私自身も楽しみです。



ラッキーボーイには興味がない。

才能も運もあって、
人々に愛され、
天馬のごとく時代を駆け上がっていく寵児の笑顔には。

スポットライトを浴びる天真爛漫なその笑顔を愛でるのは別の人でいい。
私ではない別の人が、その笑顔をいくらでも贖えばいい。

私が振り返るのは影をもつ顔だ。

笑いながら泣いている複雑極まりない顔だ。

その顔に2つ穿たれた、光が溶けてなくなった瞳だ。

それが本当の人生だ。

人間は本来カネのためではなく、己のために、徹底して己が生きる理由を探すために創作をする。
言葉にはならない声をかたちにする。
懸命な息継ぎの間から産み落とされたものでなければ、私の凍った心は決して動かされない。

死を意識しない創作などあり得ない。

だから生き残ることに執着する金持ちの趣味からはできるだけ遠く離れよう。

彼らは早かれ遅かれ偽物の創作に裏切られることになる。

私が目を注ぐのは名も無きもがく人だ。

触れたらすぐに破れてしまいそうな、
薄い膜でできた半透明の心をもつ、
弱くて、強い人だ。

それは日々街や電車ですれ違う、あなたのこと。


三隅健君。

私はあなたより10年長く生きています。

だけど何も見えないよ。
この世界はやっぱりわからないことばかりだ。

あなたは何を見たか。そして何を見なかったのかな。


今こそ、あなたが生きた世界の、揺るぎない真実を見せてください。


2017年1月8日日曜日

三隅健作品展「ムルチ」

本年もどうぞよろしくお願い致します。

不思議なご縁から、お手伝いをしております、
漫画家・三隅健さんの作品展が高円寺のギャラリーで開催されます。



三隅健作品展「ムルチ」
2017年2月7日(火)〜12日(日)
15:00〜22:00 ※最終日は20:00まで
ギャラリーカフェスリー(Gallery Cafe 3 Temporary)
杉並区高円寺北2−21−6 マツダビル2F
入場無料 但しワンドリンクをお願いしております。


三隅さんは1974年生まれ、福岡・大牟田のご出身です。
1998年の時に作品「ブルーハワイ島」が受賞したことをきっかけに上京。東村山を経て、高円寺に2002年まで暮らしました(中央公園の近く)。
2008年に作品「ムルチ」が「IKKI」の新人賞を受賞。期待の漫画家として歩みだしたその矢先、同年永眠。

福岡ではバンド「ゴールデンブラザース」のメンバーとしても活動し、楽曲も制作していました。穏やかでやさしく、内気そうな風貌とは裏腹に、その表現は複雑な心情を吐き出すような烈しさを秘めていました。

詳細はFacebookにて情報を更新しておりますので、御覧ください。


ここからちょっと個人的な話を。。

高円寺は不思議な街なんです。
全国から若者が集い、それぞれの夢を温め、挑戦し、傷つき、そこから羽ばたく者もいれば、失意や諦めとともに故郷に帰っていく者もいる。夢に向かう駅の待合室みたいな街なんです。

三隅さんがきっと胸いっぱいに期待と不安を抱えて高円寺の地に降り立った時、同じ年齢(74年生まれ)の私は演劇の夢を諦めきれずに、就職もせず、高円寺のガード下にある劇団の稽古場に通っていました。

夢を追いかけているはずなのに、私は全然幸せではありませんでした。
当時40歳だった劇団の看板女優は、看板女優であるにも関わらず、銀座のはじっこの飲み屋でホステスのバイトをしなければ食べていけませんでした。そんな看板女優のくすんだうなじにおしろいをはたきながら、私はありったけの皮肉を込めて「きれいです」と言いました。
この先どんなに頑張って、もがいても、たどり着く夢の先のリアル。それを目の当たりにした時、私は自分の夢を憎みました。

いつも寒い風が吹いているような高円寺の街で、私はエレファントカシマシの「孤独な旅人」をお経のように何度も何度もループさせながら稽古場に通いました。もしかしたらその途中で、どこかで三隅さんとすれ違ったかもしれません。結局、私はある日を境に稽古場に通うのをやめました。ポケットのなかで握りしめていた夢を路上に投げ捨て、ぐしゃぐしゃになるまで踏みつけ、この街から逃げたのです。高円寺が大嫌いでした。

それから20年、私は生まれ変わったようにそれまでとは全然違う人生を生きてきました。奇しくも今また高円寺界隈に暮らし、どの街よりも高円寺を愛しています。人生とは意地悪で、皮肉で、不思議なものです。

一方、三隅さんは2002年まで高円寺に暮らしました。彼はここでどんなバイトをしていたんだろう。どんな風に、高円寺の飲み屋街を、行き交う人を、公園で遊ぶ子どもたちを眺めていたんだろう。なぜ高円寺を去ったのだろう。

私と三隅さんは出会えませんでした。でも、“きっと”あの日、高円寺で、“きっと”すれ違った時から20年経って、私は三隅さんとやっと出会うことができました。本当のことはもう誰にもわからないけれど、私は三隅さんの作品を通してあの時の三隅さんと話せることが嬉しいし、20年前に夢を踏み潰した私自身をやっと許せるのかもしれません。

今回、「どうしても高円寺で作品展を行いたい」というご家族の尽力により実現する東京初の本展。小さな展覧会ではありますが、漫画と音楽と高円寺を駆け抜けていった、ひとつの名も無き“才能”をどうか目撃してください。