2015年11月30日月曜日

今日の侘び錆び

新宿・花園神社



杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作

芸術家は、人とは異なる道を選ばざるを得なかった求道者のことである。それゆえ人とは交わらず、どこまでも孤独である。賞賛されても批判されても、すべて彼にとっては川の流れのようである。芸術家は一人岸辺に立ってそれを眺めるだけで、己には縁ないことである。少し休んで荷を背負い、また砂利の道を進むしかないのである。その足跡に彼が拾いあげて戯れた小石が落ちている。後から来た人はその審美眼を讃えることだろう。そして人々がその小石に群がるだろう。しかし既に芸術家はそこにはいない。気配を感じたとしても、もうそこにはいないのだ。


開館20周年記念展杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作
千葉市美術館
会期 2015年10月28日(水)~12月23日(水・祝)

「人類史の中で精神は時代に宿り、そして芸術は時代精神と同衾した。しかし今、時代は高度資本主義の中で、宿るべき精神の不在、または精神の不在そのものの商品化へと流されつつある。芸術が腐臭を放し始めた昨今、私は趣味の世界へと時代を遡行していくことにした。古の文明が残してくれた遺物を愛しみ、撫でさすり、眺めていると、失ったものの大切さと共に、今の時代が見えてくる。私は我が道を楽しみながら生きて来た。これを道楽と言う。道楽者のアナクロニズム、私はそれ以外に時代を映す術を知らない。杉本博司」(展覧会パネルより)

自らのしていることは道楽である、と言い切る潔さ。重い時代であればこそ、軽みのなかに美を包みこみ、サラリと差し出して、後には晴れやかな微笑みだけが残る。


 本展の後半で紹介されている「床のしつらえ」は、婦人画報の連載「謎の割烹 味占郷」においてゲストに合わせてしつらえた床の間を氏自ら再構成したもの。杉本さんの多彩な蒐集品と須田悦弘さんによる繊細な彫刻をとりあわせた、いわば“小さなインスタレーション”が27件ずらりと並ぶ様子は圧巻だ。


それぞれに客があり、もてなしの時間と完成された空間があったわけだが、こうして再構成された意外なものたちの組み合わせを眺めているだけでも十分おもしろい。床の間や茶席というと和のイメージが強いが、軸にエジプト「死者の書」をかけ、その下に青銅製の猫の棺を置いたものもあって、この時はどんな客が訪れたのか想像してみるのも楽しい。掛軸の先に使われる軸棒の材料や装飾まで徹底的に心を砕き、それでいて最後に一輪の洒落を忘れず、本気の道楽は一周回ってもはや芸術である。

芸術家とか学者とかいうものは、この点において我儘なものであるが、その我儘なために彼らの道において成功する。他の言葉でいうと、彼らにとっては道楽すなわち本職なのである。彼らは自分の好きな時、自分の好きなものでなければ、書きもしなければ拵えもしない。至って横着な道楽者であるが既に性質上道楽本位の職業をしているのだからやむを得ないのです。(夏目漱石「道楽と職業」明治44年8月明石において講演)


余談だが、そうした床のひとつに明恵上人像を拝見して驚いた。今年は春から明恵上人ゆかりの品々や絵巻に親しみ、想いが募るあまり高山寺にも詣でた。秋にも京都で御縁を感じる出来事があり、さらにこちらで拝顔の栄に浴するとは思わなかった。特徴的なほくろやまっすぐに引かれた太い眉、道の為に自ら断ち切られた右耳。身体の底に流れる熱い血とは裏腹に、穏やかに先を見つめ今を問うまっすぐな目に心が引き締まる。何もなかったようで色々とあった一年がまもなく暮れる。

2015年11月26日木曜日

鴻池朋子展「根源的暴力」

誰のための作品なのか、と思うことがある。

お金や名声を得るため、他者に評価されるため、歴史に名を刻むため。そうした欲望も多少は創作のモチベーションにはなるだろうが、あからさまにそれらの方が優先順位が高いと見えるものはすぐさま化けの皮が剥がれ、真の感動など生むはずがない。

なぜ「文脈」を気にするのだろう。他人がつくった歴史の流れに乗りたがるのだろう。創造は自身のなかにあるだろうに。誰もが知っている先達の、要は威を借りてだ、誰かが説明文をつけやすいように配慮してさまざまな仕掛けを周到に用意する面倒くさい作業が「美術」と呼ばれるものの正体なのか。だとしたらそんなもの

鑑賞者なんて薄情なものだ。作家の苦労や心労なんか知らないで、勝手に傷ついて、「そんなものはもう見たくない」などとぬかす。そう、この私みたいに。だからなおさらなのだ。誰かに分かってもらおうなんて計画する方が創造のあり方として間違っている。もっとこう、どんなにコントロールしようとしても無駄なくらいの、強烈な業(ごう)に突き動かされてつくらざるを得ない、誰かを犠牲にしたって、これを産み落とさないと己が死んでしまうというくらいの熱量でなければ、はっきり言ってやめた方がいいのではないかな。

以上申し上げた科学者哲学者もしくは芸術家の類が職業として優に存在し得るかは疑問として、これは自己本位でなければ到底成功しないことだけは明らかなようであります。何故なればこれらが人のためにすると己というものは無くなってしまうからであります。ことに芸術家で己の無い芸術家は蝉の脱殻同然で、ほとんど役に立たない。自分に気の乗った作が出来なくてただ人に迎えられたい一心で遣る仕事には自己という精神が籠るはずがない。すべてが借り物になって魂の宿る余地がなくなるばかりです。(夏目漱石「道楽と職業」 講談社学術文庫「私の個人主義」より)


まあそんななか、某所で期待を裏切られて勝手に傷つき、救済を求めて駆け込むように立ち寄ったのが、鴻池朋子さんの個展だった。タイトルからして「根源的暴力」なんだけれど。ひどい代物を見てしまった後だったので、藁にもすがるような思いだった。本当の美術をつくる人に会いたかった。

結論として、鴻池さんは凄かった。

鴻池朋子展「根源的暴力」
会期: 2015年10月24日(土)~2015年11月28日(土)
神奈川県民ホールギャラリー


震災のことがあって、敏感な作家のなかには創作活動を中断してしまった人もいる。鴻池さんもその一人だった。でもそれは表向きにオフィシャルな仕事をいったん休止したということであって、つくること自体をやめたわけではない。根っからのアーティストは、何もしないつもりでも手が勝手に動いている。山に登っていても、違うことを考えていても、何かしらつくることだけは、体内で血が流れるように続いている。人間としての活動は止まれないわけだから、ぼーとしていたって外からの刺激を受けるし、内側では新陳代謝が起きる。考えだって蓄積する。同じ自分ではいられない。

そうするうちに然るべき時がくる。アーティストとしての業はやはりその人に相応しい道を歩ませる。使う材料や主題は変わるかもしれないが、じっと休んでいた分、強力なバネを備えていたので再び飛ぶ時は迷いなく一気に上昇していく。のろのろと歩む凡人たちをあっという間に眼下にして、ひたすら目指すのは宇宙。そこには顔見知りの人などもういないけれど、もはや関係がない。


作家として再生した鴻池さんの新しい作品はつくる喜びに満ちて祝祭的だ。きっと放っておけばどこまでも大きくなっていくことだろう、牛の革をつないだ広大なキャンバスに描かれた世界は、生きることやつくることの根源に踏み込んだ大作である。すなわち、我々は常に誰かを殺し、犠牲にしながらここに在るという残酷な真実。同じように「つくる」ということについても、自然からその一部を切り離し、選り分け、自分へと無理やり引きよせる行為にほかならない。それは誰かのせいでもなく、自分が悪いのでもない。ただ、自分という存在が根源的暴力であるとしたら、そうと知ったなら、これからどのように生き、つくっていくのか。鴻池さんは自ら設定した問いに果敢に立ち向かおうとしている。「考えられるあらゆる材料や方法を使って」、それこそ手当たりしだいに。


子どもが身につける革のポンチョには、動物が描かれる。森の住人たちは澄みきった虹色の目を見開いて、恐れずに我々の世界を凝視する。目、目、目。それは山の火口や湖の奥底にも現れ、自身に向けられる暴力を一瞬でも見逃すまいという強い意志を示すかのようだ。分厚い革は扱いが難しく、身を削るような体力を使うことだろう。しかし苦しみや迷いの色など一切見えない。くっきりと引かれた鮮やかで力強い歓喜の線は、楽園のようでもあるし地獄のようでもあるこの世界の理を闇のなかに浮かびあがらせる。生と死が雪崩れて渦巻く凄まじいスケールの前に吸いこまれそうになって、立ちつくしていたら涙がほとばしり出た。そこに説明できる理由などない。


2015年11月25日水曜日

MISAHARADA HATS OFF!「賛美の帽子」

misaharadaの帽子は、頭部に添わせる、という制約のなかで機能と趣向を凝縮しながらバランスさせる芸術である。日よけや防寒といった用途ありきのそれとは異なり、身につける服に共鳴あるいは反響しながら、装いをひとつの表現として完成させるための要素。

misaharadaの帽子は、優美でありながら力強くもある。材料を引きたてつつ料理全体の印象を司る、仕上げの香りづけのように。時に、心地よい刺激がその人の内面をわずかに見え隠れさせることもある。試しにmisaharadaの帽子を被ってみると、鏡の向こうに私の知らない自分を見つけた。

misaharadaの帽子は、それ自体創造の喜びにあふれている。鳥の羽やブリザードフラワー、プラスチックのチューブにオーガンジー。頭に載せる小さな基礎の上でこれらの素材が祝福され、のびのびと踊っている。コンサートやパレードのためにオーダーされたこれらは、原田氏の覚醒とも言うべきイマジネーションが発揮されて、そこに置いてあるだけで当時の歓喜の場面を生き生きと蘇らせてしまう。

misaharadaの帽子は、心を浮き立たせる魔法だ。


原田美砂「HATS OFF!」- 賛美の帽子 -
2015年11月20日(金)-12月27日(日)
11:00-20:00(入場は閉館の30分前まで)
入場無料/会期中無休








2015年11月24日火曜日

新世界ラジウム温泉(3)

ラジウム温泉とは、ラジウム(ウランが崩壊した放射性物質)やラドン(さらに崩壊した放射性物質)を含む温泉で、諸々の効能があるとされる。こちらでは鳥取県で採取されたラジウム鉱石を露天風呂に入れているということである。

ともあれ青空の下の風呂は気持ちがよい。見上げれば澄みきった秋の空と通天閣の展望台、横に目をやれば手づくり感あふれる和風庭園に心癒される。庭園の向こうにはアパートの窓が見えるがもはや気にもならない。どちらかというと気になるのは展望台のほうである。こちらから展望台が見えるということは、向こうからもこちらが丸見えなのではないだろうか。本日は時間の都合上、通天閣に上る積りはなかったのだが一度気になると確かめずにはいられない。少し早目に入浴を切り上げて、通天閣に立ち寄ることにした。私の予想では見えると思う。いや、見えたからと言って糾弾する積りもなく、自分のなかに湧き出でた好奇の心を満たす為だけに塔に上るのである。

脱衣所に戻ると、赤いエプロンをかけた婦人が甲斐甲斐しく清掃したり、備品の補充などをしていた。時折「赤じゃなかった、青だった。失敗したわ」などと独りごち、こんなにたくさん扉があったのかと驚くほどさまざまなところの大小の扉を鍵で開け閉めして自在に出たり入ったりしていた。何かあればこの人には逆らえないだろうと思った。

先に風呂からあがって着衣を完了した客がコイン投入式のドライヤーを頭部にあてていた。かなりの短髪と見受けたが、乾き切らぬうちに時間切れとなった。それでおそらくいつものことのように彼は勢いよく舌打ちした。その隣で私もまた20円を投入し、ドライヤーの電源を入れた。こちらもかなりの短髪であるが、やはり満足のいく仕上がりとなる前に時間切れとなり、倣って舌打ちした。あえて追加の20円を投入しないのがこの地の作法と見たため、鏡を睨みながら生乾きの髪を撫でつけた。鏡にはエプロン婦人がオロナミンCの瓶を冷蔵ケースのなかに淡々と補充している姿が映った。

まもなくどこぞの寄贈の時計が午前9時を示し、それを合図に客が何人か立て続けに番台を通過してきた。にわかに騒がしくなり、立ち去る時が来た。荷物をまとめ、名残惜しく脱衣所を見まわすとふと死角的な壁にピンク映画のポスターを見つけた。近くに上映館があるのだろうか、明朝がぷっくりと膨れ上がったような特徴ある字体でいくつかの作品名が列挙されていたが、特に「わるい夫婦」という字面が目に付いた。わるい夫婦とは、一体どのような夫婦であろうか。想像を巡らせかけたが、背後にエプロン婦人の気配を感じたのでそそくさと番台へと向かった。

番台の老婆は壁の向こう側にいる老アダムの話に附き合っていた。アダムはパンツのゴムが緩んでいてどうにもならない、というようなことを話しており、老婆はそれに餅付きのごとく絶妙な相槌を打っていた。私はすぐにでも塔へと向かわなければならなかったが、日々繰り返されている二人の間合いを断つのは無粋に思えた。そこで無言でプラスチックの番号札を番台に差し出すと、だからそんなことはわかっているんだとばかり即座に木札が戻ってきた。さらに無言で使用済みタオルを掲げると、老婆の視線が足元の赤いプラスチックかごに向けられた。ここでは清々しいまでにすべてが滞りなかった。

「ありがとう」

入ってきた時と同じ抑揚で低い声が聞こえ、自動扉がギャーと開いた。そこには相変わらず雄キリンが威風堂々と起って天を仰いでいたが、既になんとも思わなくなっていた。(終)


2015年11月23日月曜日

新世界ラジウム温泉(2)

銭湯は異界である。

自動のガラス戸がギャーと烈しい音を立てて開くと、そこには開放的な空間が広がっている。早朝のためか客は見当たらず、六角形の空間を二つに分けている壁のむこう側からなにやらぼそぼそと会話する者の声が聞こえただけだった。

前に進もうとすると背後からゆっくりとした低い声が私の首根をとらえた。

「いらっしゃい」

大阪に着いてからはじめて私にかけられた声である。性別ごとに隔てられた空間の間に人ひとり入れる円筒形の見張り台があり、そのなかから小さな老婆が上半身だけ出してこちらを見ていた。

ワンコインセット券を番台の上に置くと、すかさず「石鹸は」と問われたので少しだけ考えてから首を振った。するとそんなことはわかっているとばかり、間髪をいれずに「札を」と老婦人。札。一瞬戸惑ったが、それ以上このばあちゃんを待たせてはならないように思えた。片手で握りしめていた靴入れの木札をすばやく番台の上に置くと、彼はようやく納得した様子であった。菩薩のような面持ちで木札と引き換えにプラスチックの番号札を私に示した。

番号札は小さな鈴とともに赤いヘアゴムに通されていた。木がプラスチックになり漢数字が洋数字に変わっただけだが、当湯屋にとってはおそらく重要な儀式なのである。帰る際には、このプラスチックを再び木に変換する手続きが必要となるであろう。脱衣所をうろうろしていると、浴室側のガラス戸がぬるぬると開き、若い二人組が出てきた。そこでその者たちが向かう脱衣庫から離れたところに陣取り、自分の衣服を手早く始末した。

脱衣所も広かったが、浴室はさらに広かった。いわゆる富士の風呂絵などはなく、大小のタイルによる抽象的な文様が全体的に施されている。上部に穿たれた摺りガラスの窓を通じて明るい朝の光が滞りなく室内に拡散しており、あたかも神の降臨を待つ楽園のようであった。しかしながらアダムとイヴを隔てる壁は脱衣所から浴室内へも伸びており、壁の向こうから知り合いの入院について話し合うアダムたちのしゃがれた声が響いてきた。

一通り身体を清めた後、はてさてと大きな風呂に足先をつけたところあまりにも熱いので吃驚して飛びあがった。冷えた身体を持て余し、その隣にある高濃度炭酸泉と記された小さな風呂に入ることにした。壁には炭酸泉の効能について詳しく書かれていたが内容はほとんど覚えていない。ただ、やたら「皮膚が赤くなる、赤くなる」とあり、それは炭酸によって血流が良くなるためとのことで、試しに腕を見ると本当に赤くなっていたので少々おののいた。これ以上肌が赤くなっては不興なので早々に上がり、露天風呂と書かれた矢印の方へと進んだ。途中に電気風呂なる小さな風呂があった。そこだけ洞窟のように薄暗いので実態が掴めぬまま、なにはともあれ手を突っ込んでみると、突如びりびりと筋肉の奥を嘴でつつかれるような刺激を覚え、吃驚して逃げ出した。

屋外へと飛び出すと、そこにまた風呂があった。近年増築したと思われる露天風呂であった。おそるおそる入ると今度は湯温も丁度よく、肌が赤くなることも、筋肉がびりびりすることもなく、ようやく安心して身を沈めることができた。(続く)


2015年11月22日日曜日

新世界ラジウム温泉(1)

その日は朝早く大阪に着いたので、あらかじめ調べておいた地図を頼りに通天閣まで行ってみることにした。塔の足元にそれはよい雰囲気の銭湯があるという。その名も「新世界ラジウム温泉」である。

通天閣の真下では、観光客とおぼしきアジアの若者たちが色鮮やかな天井画にカメラを向けたり持参のパンなどをほおばるなどして時間を潰していた。彼らが所在なさそうにしているのは通天閣のオープンが午前9時であり、まだ1時間ほどもあるためかと思われる。見渡せば、特に目的はないがあるとすればそこに居ることを目的とする老翁や、自転車で駅へと急ぐ学生風の人、深夜か早朝の勤務を終えた気だるいおかみさん、店の前を掃き清めながら時事問題の感想を述べ合う店主たちがちらほらといるくらいで、新世界の朝は静けさに包まれていた。

さて、私はこの土地のそうした日常の片りんを横目で見やりながら、朝6時から営業しているラジウム温泉の暖簾をくぐった。半円状になった沓脱ぎ場の中央にアフリカ製とおぼしき雄キリンの像がおかれ、3、4メートルはありそうな高い天井にその鼻先をつけていた。人間の目線の高さにちょうど雄キリンの局部があり、客は靴を脱ぎ穿きするたびにそれを視界に入れることになる。私のすぐ後に、おそらく常連の、おそらく一般的な会社勤めではない中年の男性が颯爽と入ってきて、上がり框の上で仁王立ちとなり、はてさてと煙草に火をつけた。男は煙をゆっくりとくゆらせ、その視線は雄キリンの勇壮なる部分へと向いていたが、あまりに日常の景色なので特に意識もしていない様子であった。

一見の客たる私だけが気まずさにかられ、この空間に長居は無用と急いで長靴を脱ぎ、それを仕舞うには小さすぎる庫の扉を力づくで締め、なかなか言うことをきかぬ木札を引き抜いた。券売機で「ワンコインセット」なる入浴料と大小のタオルがセットになった券を贖い、そそくさと更衣場へと続く自動扉のスイッチを早押ししたものである。(続く)





2015年11月19日木曜日

ニフレルにふれる

太陽の塔が元気にそびえる万博記念公園。今は自然豊かな憩いの園へと姿を変えたが、70年代の日本をぐぐっと押し上げた経済の熱気と人々の期待感のようなものはまだその土地に染みついているような気がする。


忙しげに車が行交う高速をはさんだ向こう側に、今日新しい商業施設「EXPOCITY」がグランドオープンを迎えた。そして同敷地内には創業25周年を迎える海遊館が新たに取り組むミュージアム「ニフレル」も本日開館。きっとたくさんの人々が、今まで見たこともないような斬新な展示のなか、感動の声をあげて動物や魚たちとの対面を楽しんでいることだろう。

筆者は一足お先に内覧会にお邪魔してきたところだ。一番感じたのはニフレルの運営に関わる人々が本当にいきいきとして、新しいことに挑戦する自負とこれから何が起きるのかという期待感に満ちていることだった。


展示手法や演出もアイデアいっぱいだが、加えて大阪の洒落やユーモアセンスもたっぷり生かして、まず現場を守るご本人たちがプロジェクトを楽しんでいる、という印象。そういう雰囲気は何も知らない来場者にもきっと伝わる。

ここでは彼らをキュレーターと呼ぶ。飼育「員」や「スタッフ」ではない。一人ひとりが訓練された技術や知識、経験を有するスペシャリストである、という意識によるものだ。誰よりも自分こそが一緒にいる生き物を愛し、その不思議さや力強さに畏敬の念を抱いていて、それを誰かに伝えたい。伝えるために何をするのか。それを自ら考えてアクションを起こしていくのだから、間違いない、キュレーターだ。


既にご存じの方もいると思うが、あるフロアでは動物が放し飼いになっている。これは本当にすごいチャレンジだし、管理上の困難も多いことだと思う。どんなハプニングが起きるか分からない。でもそれをあえてやる。なぜか。「伝えたいから」。そうした熱い想いの集合体がニフレルを形づくっている。ハコだけ立派な時代は完全に終わったのだ、と確信した。

さて、旅多き我が家もこれから大阪に立ち寄ることが多くなりそうだ。家族みんなで出かけて、その新しさや楽しさを分かち合いたい。



(12月1日追記)
AXISのwebサイト「jiku」にて、ニフレルの記事が公開されました。
現場で体験し、ニフレルのメンバーや映像インスタレーションを手掛けたアーティストにも話を伺いました。展示の新しさやそこにかけた想い。どうぞご覧になってください。

生きているミュージアム「NIFREL」がオープン1 「鑑賞」ではなく生き物同士が「対面」する場所

生きているミュージアム「NIFREL」がオープン2 映像インスタレーション「ワンダーモーメンツ」


2015年11月11日水曜日

目「ワームホールとしての東京」

東京都現代美術館で、展覧会「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる」がはじまった(2016年2月14日まで)。

過去のアートミーティング企画のなかでも、特に意欲的で見ごたえがあって発見も多く、一言で「良い」。「東京」というテーマに取り組めば総花的散逸的となり結果ぼやけるのはわかっているわけで、そこで6人のクリエイターという個々の目線を持ち込んだことが一つのブレークスルーとなっている。本展の主旨や意義については他所で書いたので触れない。そのかわり他所では触れなかった出品作家「目」について書きたい。


「目」は2012年から活動を開始し、昨年の資生堂ギャラリーでの個展「たよりない現実、この世界の在りか」、宇都宮でのバルーンプロジェクト「おじさんの顔が空に浮かぶ日」、今年の越後妻有トリエンナーレ「憶測の成立」(通称:コインランドリー)、水戸芸術館での「REPLICATIONAL SCAPER」などが大きな反響を呼び、作品を発表するたびにその知名度を飛躍的に高めているアートユニットである。


その特徴は、既存の建築や都市空間に大掛かりなインスタレーションを作り込み、鑑賞者に虚と実のあいだを行ったり来たりするような不思議な身体感覚をもたらす作風だ。しかも、会期が終われば装置はすべて撤去されあとかたもなくなる。舞台となった建築や都市の風景だけが何事もなかったかのようにそこに残り、作品があったことすらもやがて曖昧な記憶となっていく。

一方、目の鑑賞者にも特有の計らいというか善意がある。彼らのインスタレーションにはどこかに抜け穴のようなものが潜ませてあり、それに気づいた人だけが“より深く”作品を味わえる仕掛けとなっているのだが、鑑賞者がSNSで感想などを発信する際、極力ネタばれを避ける暗黙の配慮があるようだ。そのため作品の詳細画像や文字情報が流通しにくく、このことも彼らの作品をいっそうミステリアスにしている。

紹介が長くなったが、本展の終盤で圧倒的な存在感を放つ彼らの新作「ワームホールとしての東京」である。ワームホール(虫の穴)とは「時空のある一点から別の離れた一点へと直結するトンネルのような抜け道」とのことだが、簡単にいえば「どこでもドア」みたいなものだろうか。

「浜離宮の風景、360年前からある社とここ10年くらいに建ったばかりの高層ビルが同時にそこにある風景に魅力を感じているわけです。瞬間ってなんだろう。あるいは連続って。“瞬間の連続”という意味では、何億光年も前に消滅した惑星と今ここにいる自分とは連続していることでしかないわけで。今回は、鑑賞者の方が自宅から地続きでこの美術館まで来られる、その連続した行程の一瞬を外に出すような表現を目指した。それが東京のおもしろさの提案になっていればと」(目の南川憲二さん)


で、一鑑賞者たる私も、内田百閒の「東京日記」を読みながらいくつかの地下鉄を乗り継ぎ、深川の街並みを行き、東京都現代美術館に向かったわけである。

百閒の同作は小さな随筆のような、東京の風景描写みたいな文章を23編ほど集めたものだが、ここで描かれているのがまさに「東京のワームホール」。舞台は東京駅や日比谷公会堂、九段下、神田、湯島といったエリアであるが、いつもの見慣れた都市の風景にあらぬことが次々と起きる。例えば、市ヶ谷の景色のなかに噴火する富士山が現れたり、小石川植物園の通りを深夜に裸馬が疾走したり、神田須田町を狼の群れが行く。死んだはずの人が話しかけてきたり、狐の化けた芸妓が人の目玉をぺろぺろ舐めてくる――。

怪談や幻想譚の類にもみえなくないが、百閒はあくまで東京の風景(架空の珍百景?)として淡々と描写している。文中の人物も荒唐無稽な事象を全く意に介さない様子。丸ビルが一日だけ消滅して空き地になってしまったくだりでも、書き手は一瞬目を疑うものの「そんなものか」とあっさり受け入れてしまう。百閒の冷静かつ精密な筆致が読者をワームホールへと引きずり込んでしまうのである。

三島由紀夫はこう評する。「初読後三十年ちかくもなるのに、丸ビルの前をとおるたびに、この作品の、丸ビルのあった辺りの地面に水溜りがあって、あめんぼうが飛んでいた、という描写が思い出され、その記憶の方が本物で、現実の丸ビルのほうが幻像ではないか、と錯覚されることがある。文章の力というのは、要するにそこに帰着する。」(三島由紀夫「<内田百閒>解説」ちくま文庫「サラサーテの盤」より)

これと同じ感覚を私は目の作品に感じるのである。すなわち新潟の古いコインランドリー(「憶測の成立」)でのワームホール的体験が鮮明に焼き付いたあまり、東京に戻ってからもレトロなコインランドリーに遭遇するたびに「仕掛けがあるんじゃないか」と身構えるようになってしまった私のからだよ(責任とってくださいっ)。

今回は浜離宮庭園の、ある意味、超現実的風景(借景)に着想を得たインスタレーションだが、これも「東京ならあり得るかもしれない」と思わせてしまう説得力がある。それはもちろん緻密に作り込まれた作品の力であると同時に、「東京ならあり得る」と思わせてしまうこの都市の不思議な包容力、底力によるところでもあるのだ。

本展において目が突出しているのは、ほかのキュレーターや作家が東京のなかで消費されながら培養されるコンテンツや事象を主にセレクトしたのに対し、目はその孵化装置としての、つまり器としての東京そのもののポテンシャルを取り上げた点にほかならない。とにかく彼らの作品について言えることは「百聞は一見に如かず」。身体全体で東京に潜む不思議なおもしろさを感じとってほしい。帰り道、いつもの風景の見え方が変わるかもしれない。

2015年11月9日月曜日

Eatable of Many Orders「食べられるウール」

11月。那須塩原の森を散歩した。

どんぐりだの栗だの、木の実や落ち葉で敷きつめられた柔らかなこみちを家族連れだってゆっくりと歩いた。背の高い木々のあいだから暮れなずむ秋空の光が注ぎ、夕方になって冷えた空気がもみじの紅色をいっそう深く染めあげる。


子どもらは不思議なかたちやいろを見つけてはいちいち歓声をあげて大人を呼んだ。一番幼い子は父の肩の上ですやすやと眠る。彼女たちには木々のささやきが聞こえ、この場所に暮らす生き物の気配を感じとる。冬の準備に出遅れた小さな蛙を手のうちにとらえ、ひとしきりもてあそんでから森にかえす。

「さあ急ぎなさい、冬はもうすぐそこまで来ているよ」

見上げれば頭上にはぽっかりとあいた穴のような空があって、どこまで覗き込んでみても水色だけが静かに澄みきっている。

エタブルオブメニーオーダーズの服はこんな森が似合う。
私たちは森でこそ、彼らの服を好んで着る。


もちろんビルの谷間でもいいのだけれど、自然のなかでならいっそう、服がのびのびと呼吸しはじめるのを感じる。麻、コットン、ウール。古代から受け継がれた自然の素材と技術の歴史をひも解き、かつて衣食住が美しく融合していた頃の人間の知恵に学ぶ。さらに新たな解釈と想像力を加え、現代の衣服として落とし込まれたのがエタブルの服。どこか懐かしさをたたえながらも常に新しい挑戦に満ち、驚きを与えてくれる。

デザイナーやクリエイターであることと、一個人であり、家族であり、普遍的な日々を生きる生活者であること。そこには順番も境界もない。むしろ並行的に、時にまじりあいながら進んでいる。細分化専門化され、いくつものキャラクターを使い分け、生活と仕事も分断されがちな東京からとはあきらかに異なる世界の眺め方。それが独自の服づくりにあらわれていると感じる。

素敵な休日が終わり、エタブルの服を脱ぐときは少しさみしい。でも、だからこそまた森へと足を運ぶのが楽しみになる。



Eatable of Many Orders「食べられるウール」
会期:2015年10月31日(土)~11月23日(月・祝)火曜日休廊
会場:森をひらくこと、T.O.D.A. オープンプレイス
入場料:無料
主催:森をひらくこと、T.O.D.A.