2017年4月26日水曜日

アートとはコトである。



幼い頃から娘をベビーカーに乗せて、美術館やらギャラリーを連れ回し、とにかく見せた。わかろうが、わかるまいが、とにかく浴びせるように作品を見せるのがいいことなのだ、と思いこんでいた。

写生コンテストで娘の絵が選ばれたことがあって、エスカレートした。しかし度が過ぎたらしく、遂に「アートなんてきらいだ」と言わせてしまった。娘には娘のやりたいこともあるし、遊びたい友達だっている。それもわかるし、なんとなく熱が冷めて(正直、面倒くさくもなり)、一緒に美術館には行かない時期が続いていた。森美術館のN.S.ハルシャ展(6月11日まで)の2日間のキッズ・ワークショップ「ナイト・ジャーニー:夜への旅」に申し込んだのは、そんなブランクを経て、久しぶりに「親子でアートを楽しめたらいいな」と思ってのことだった。

ファシリテーターの人と一緒に作品を見る(1日目)

南インド・マイソール拠点のアーティスト、ハルシャは子ども向けのワークショップでも知られる。今回は「東京にきてインスピレーションを受けて、はじめて試すプログラム」とのこと。やることは2つ。

(1)自分が考える「ヒーロー」に扮すること
(2)夜の街に出て、「光」を描くこと

なぜ「ヒーロー」かというと、「子どもたちこそ、未来をつくるヒーローだから」というハルシャの考えから。子どもがヒーローについて考えることは、未来の自分や世界について思いを巡らせるということなのだ。親子で話し合って考えてね、という宿題なのだが、これが難しかった。



8歳の娘は、女の子にとってのヒーロー(ヒロイン)とはアイドルのことだと思っている。「扮する」とはコスプレのことだと思っていて、「おへそを出したい」とか言う。私も8歳の時はそうだったのだろうか。

「まあそれでもいいんだけど、もうちょっとさ、カワイイとかキレイとかじゃなくて、ヒーローって困っている人を助けたり、世界を平和にするために悪と戦うとか」と振ってみるが、どうもそれは「女の子らしくない」とピンとこないようだ。

結局、ずるいのはわかっているが誘導してしまう。「じゃあさ、明日は夜の街に出て絵を描くわけだから、夜のヒーローなんてどうかな。夜の街から光をつかまえてきて、暗い世界を明るくしてくれる。どうせなら、みんなのなかで一番目立っちゃおうよ」「うん、それならいいよ」



私の黒いユニクロのセーターに、アルミホイルやすずらんテープ、家にあった装飾用のテープを細かく切って、2人でボンドで貼り付けていった。アルミホイルはできるだけたくさん貼ってキラキラの鱗みたいにして。

「夜のヒーローは街中の光をつかまえて、虫かごに入れるんだよ。そして、心の寂しい人がいたら配って元気にしてあげよう、アンパンマンみたいに」「このテープは涙みたいだね」「どうして」「泣いている人の涙と引き換えに光をプレゼントしているから」「すごくいいじゃない。明日はこれを着て、たくさん光をつかまえて、絵を描こうよ」

こういう時、親としては完全にほったらかして娘の想像力に任せるべきなのか悩む。でも、やってみてわかったのだけれど、傍観者になって見守るより、子どもと一緒にこの世界に入り込んで、同じ目線でやり取りする方が、たぶん親も楽しい。

けやき坂に繰り出す(2日目)


2日目は夕方5時半に美術館に集合。15人の子どもたち、それぞれのヒーローに着替える。サッカー好きな子はサッカー選手に、マンガ好きの女の子は手塚治虫に。「お母さんこそ英雄」だとエプロンを身につけて現れた子もいる。「未来の自分こそヒーロー」という男の子はいつもの格好で堂々と。みんないろいろ考えてきたんだなあ。



それから六本木ヒルズからけやき坂へ移動する。外はすでに暗くなっていて、街路灯、街路樹のライトアップ、行き交う自動車のヘッドライト、華やかなブランド店舗や飲食店の照明、少し先には東京タワーが濃紺の空にくっきりと浮かんでいる。夜の東京は随分と光にあふれている。それがハルシャの1つの視点だ。「夜間にはあまり外に出ない子どもたちにとって、夜の光とはどう映るのだろう。さあ、黒い画用紙に光を描いてみてください」。





そもそも夜に出歩くこと自体、子どもにとってはスペシャルな時間だ。小さなアーティストたちは、それぞれ自分だけの光を追いかけて、けやき坂に散り散りになった。娘は坂の一番下までかけ降りてゆき、「光る石」を見つけると、その前に陣取った。黒い画用紙を据え、「いざ」とパステルを振りかぶる。

私は「雨に消える椅子」のほうに座って、なるべく気配を消しつつ眺めた。「私ならこうするけどなあ」。思わず口を出しそうになるのをぐっとこらえる。キッズ・ワークショップというのは、大人にとって楽しくも試練の時間でもある。困っていたら助けたいが、決断する時と集中している時は子どもに任せるのがいい、たぶん。



娘はパステルを学校で使ったことがあるらしく、なんだかパフォーマー気取りで、鼻歌でも歌いながら指の腹でパステルを黒い画用紙の上に伸ばしていく。そこにハルシャがやってきて、「まるで魔法みたいだね」と娘に話しかけた。そして「一番光のまぶしいところには白いパステルを使うといいかもしれない」とアドバイスしてくれた。

ハルシャと、ファシリテーターの吉田さんと

この日はとても寒くて、冷たい風に身体が凍えたが、娘はお構いなしだった。「光る石」を描くのが少し落ち着いたところで、「まわりに反射している光はどうするの」と尋ねてみた。「夜のヒーローは光をつかまえることができるんじゃない」「目の前を走っているクルマのライトをつかまえちゃおうよ」。それで2人で両手で狙いを定めて、光を掴んで、画用紙の上に落とす振りをした。こうなったら、徹底的になりきるのだ。子ども、大人、関係ない。歩行者の人達からは奇異の目で見られたが、それも面白かった。2人にとって「生まれてはじめてのこと」をただひたすら楽しんだ。




美術館に戻ってから、全員の絵を並べてみんなで眺めたが、ハルシャはいちいち講評することもなく、1人ずつ感想を聞くなんてこともしなかった。そんなことをしなくても、言葉で確認しあわなくても、みんなが十分に満足していることを知っているからだ。「もちろんどの作品もすばらしいです。でも作品よりも大事なのは、あの時間のなかで子どもたちが何を感じたか、親子でどんなやりとりをしたか、ということなんです」。



アートとはモノではなく、コトである。
体験の強度の問題である。
空気のように、振動のように、五感から伝わるものである。


教えているつもりが、教わっていた。娘のおかげでそのことをやっと実感できた、新鮮な体験だった。

イベントのレポートは、森美術館のブログでも。


2017年4月20日木曜日

琺瑯 HORO

松屋銀座で、小泉誠さんの仕事を拝見。



[第734回デザインギャラリー1953企画展]
プロダクトの絶滅危惧種
2017年4月16日(日)−5月15日(月)
松屋銀座7階デザインギャラリー1953

「絶滅危惧種」にはドキリとするけれど、「琺瑯」という、読めなくはないこの、「いかるが」っぽいというか、どこか高貴な薫りのする字面がまずもってよいではないか。

紀元前1400年のギリシャにはすでに金属にガラス質の釉薬をかけるこの技術があり、エジプト・ツタンカーメン王の黄金マスクも琺瑯でできているという。主に装飾技術として日本にわたってきたのは飛鳥時代とのことだが、はっきりそれとわかるものが残っているのは正倉院の「十二陵鏡」(8世紀)。桂離宮の建具の引き手などにも使われているそうだ。

一方、実用品としての琺瑯は、日本では1866年にはじめて琺瑯の鍋がつくられた。その後、陸海軍の食器としても採用され、昭和初期までに市民の生活に広く浸透していった。しかし戦後の高度経済成長、プラスチック、アルミ、ステンレス製品の台頭により、手間のかかる琺瑯の製造者は激減。今や、国内ではメーカー4社のみであるという。

ちなみに我が家ではずっと野田琺瑯の月兎印のポットを使っている。軽くて、気軽で、手に馴染む。とにかく軽いからキャンプにも持っていく。IHも直火もいける。乱暴に扱うので釉薬が欠けてしまった部分がところどころあるが、まだまだいける。まだまだ愛せる。

そうしたら、小泉誠さんが琺瑯のキッチン道具をデザインしているという。国産琺瑯がなくならないために、また琺瑯の魅力を伝えるために。墨田区の金属加工と三重県・桑名の琺瑯加工を組み合わせた「kaico」シリーズ。ケトル、コーヒーポット、片手鍋、両手鍋、オイルポット、保存容器にグラスまで。新作の「ドリップケトルS」は、ドリップに特化したちょうどいい湯口。



松屋銀座での展示もとっても素敵だ。ドリップケトルができるまでの工程を、パラパラマンガのように1つずつ見せていく。最初はたった2枚の鉄板が、だんだん立ち上がって立体になって、何度かうわ薬をかけられて、最後ケトルになるまでの物語。簡単にはできない。たくさんの作業を経て、少しずつ、少しずつケトルになっていくんだなあ。小泉さんの仕事には、いつだって「こつこつ」のものづくりに対する愛のまなざしがある。そんなわけで、朝は決まってコーヒー豆を挽くところからはじまる我が家にも、そろそろドリップ専用の琺瑯があってもいいかもね。







※4月26日(水)−5月9日(火)は、松屋銀座7階デザインコレクションにおいて、関連企画販売「日本の琺瑯」を開催。

※5月2日(火)には、小泉誠さんを囲むデザインサロントークとバリスタを迎えるイベント。詳しくはウェブをご確認ください。

2017年4月14日金曜日

納得しようとするのをやめる


高尚なことは何ひとつわからない。これが音楽なのかどうかも。
ただ、こんこんと湧きでて空間を満たす豊かな音のなかに静かに座っていると、不思議な没入感があって、瞑想でもしているような心持ちになる。ベンチに腰掛け頭を垂れて、耳を傾ける人々の姿は、どこか祈りにも似ている。

私も心ゆくまでここに腰掛けていたい、その後の予定などどうなってもいいから。意味、意義、意図の解釈なんてどうだっていいんだ、この場に同化しさえすれば。もし、それが音楽ということなのならば。



アピチャッポン、ZAKKUBALAN、高谷史郎による3つのインスタレーションは断片的に重なり、やり取りが感じられる。会場全体が「async(非同期処理)」の館だ。



美術展における聴覚の喚起には計り知れない可能性がある。まわりにいる人々の存在はいつしか掻き消えて、私自身が音と光の波のなかに溶けていく恍惚感。それを味わうために、とにかく会場に足を運んだ方がいい。

坂本龍一|設置音楽展
2017年4月4日(火)−5月28日(日)



2017年4月9日日曜日

I’ll remember April

私はきっと4月のことを覚えているだろう。いつもそれは4月に起きて、世界をまるごと刷新してしまうのだ。

桜が満開の花曇りの日に、山下洋輔さんのコンサート。歓喜とイマジネーションに満ちた「SAKURA」に心踊る。漆黒のスタンウェイ・アンド・サンズから咲きこぼれる、あふれんばかりの桜花。次から次へと花びらが舞いあがり、空の彼方へと流れゆき、待ち望んだ春の訪れを祝福する。


覆いかぶさるように、慈しむように。鍵盤の上を優しく強く撫でてゆく好々爺の節くれた美しい指先が、宇宙の隅々から微細な音の粒子をかき集めて。壮大な心象の砂絵を描くように、無数の音粒たちを宙空のキャンバスいっぱいにふりかけて、次の瞬間にはそれらを一気に引き寄せて隠してしまう。

日本が誇るべきピアニスト、否、鍵盤詩人はその両眼をしっかり閉じたまま、思うままに波を描き、山を描き、そこを昔の子どもたちが賑やかに走りすぎてゆく。その残像がかろうじて私の耳にしがみつく。

私の耳にははっきりと見える、里山を駆け下りる一陣の風が春の神様の裾を引いて遊ぶ様子や、壊されるのを免れた明治の要塞が赤褐色の煉瓦の1つ1つに内包する記憶をさも愛しそうになぞる様子やら。

音は色。指は絵筆。歳を重ねるほどに心の風景画は華やかに、まろやかに、そしてどこまでも甘く。そこに言葉はいらない。私のほうは、はじめてその音に出会った20年前と何ら変わらず、ただ魂が惹かれるだけ。



2017年4月4日火曜日

リー・ウェン最新作『Birds(鳥たち)』



シンガポール人アーティスト、リー・ウェン(1957−)。全身を黄色に塗り、「イエローマン」(1992−2004)というペルソナで人種差別や言論・表現の自由に挑んだアーティスト。



時は経て、2007年にパーキンソン病を患ってからは、色鉛筆を握りしめて、羽ばたく青い鳥を描く。それはリハビリか、プラクティスなのか。経を読むように、繰り返し飛翔を描き続ける。飛びあがったかと思うと空中で旋回しながら急降下し、大空と戯れ、暴れ、自由を謳歌する鳥。連作で眺めると、それはまるでキネティック・アートかパフォーマンスのよう。



リー・ウェンが色鉛筆を選んだのは、力を入れなければならない画材だから。水彩絵の具のようにはいかない。自分が求める濃度にするには動かぬ身体に鞭打ち、手に力を込めなければならない。その筆圧はコットン紙のざらついたテクスチャーをつるつるに伸ばしてしまうほど。特に鳥のシルエットは、鉛筆の先が丸く平らになるまで入念に力をかけるから、鮮やかな青のストロークは痛々しいほどに紙の上に刻まれる。



発病の時、リー・ウェンは自由を失っていく己の身体を呪ったことだろう。自由を求めて躍動した「イエローマン」の輝かしい時代を思い出しては、今の境遇を憎んだことだろう。しかしリー・ウェンは生き続けなければならない。アーティストとして表現し続けなければならない。彼の青い鳥は、自由に向ける羨望と、なんとしてもそれを再び獲得したい、あるいはそれ以上の自由を、という不屈の精神の表われなのだ。


2017年04月01日(土)~2017年04月23日(日)

会場:アーツ千代田3331 1F 3331 Gallery

会期中は作家の滞在制作も