2016年12月22日木曜日

11月16日

11月16日、ZAZEN BOYSのビルボード。テーブル席の一角で、私の両眼はギターの弦をはじく演者の指先、その軌跡を追い続けていた。

歌唱部分の音声はなぜか背後で響いており、前方すぎるのも聴覚体験としてはどうなのかと思った。しかし、演者の節くれた指が鍵盤を押さえる力の機微や、弦の上でのけ反る小片が描くしなやかな曲線など、今この場所ならではの視覚が新しく鮮やかに感じられもした。

皺のシャツ。草臥れたスラックス。ゆらりと花道に現れ、大勢の視線に晒されながら階段をゆっくりと歩み降り、さらりと壇上に立った枯淡の人。拍手を浴びても静かに肚が座っている。簡単な身支度を済ませ、特に目配せもなく、4人は同時に、軽く息を吸い込む。その直後、濃紺の静寂が色鮮やかな爆音へと転じ、壮大な晩酌の幕が切って落とされた。

束の間の時間を濃密に生きる。その生き様が電気信号に変換され、エンハンスされ、空間の隅々へと出力され、客は存分に酔った。そうするうちに舞台奥の幕がするすると開き、ZAZEN BOYSの背後に、新生六本木の、小洒落た夜景が広がった。

親しみやすさ、命削るような懸命さ、あるいは反骨の痛快といった各種のサービス表現を期待していたらきっと肩透かしである。そうではない。彼らは、精神的に場違いなこの感じを肴に、他者が介錯する芸術性であるとか、他者が介在する関係性などとは無縁の境地に遊ぶ。壇上の4人だけが今この瞬間の生き死に、に向かい合っている。

私の両眼はそれをはるか近くの遠方から目撃するのである。あまりにも近くて遠い。お互い実在する時空が違っているんじゃないかとすら思うほどの遠さ。あちら側の結界から放出される音の波が、こちら側に茫漠の渦巻きをかたちづくっている。壇上の生き様と対峙するにはあまりに無力なこの身体を渦巻きの勢いに預け、為すがままに。

時は過ぎ、気づけば、壇上にはすでに誰もいないのであった。楽器だけが抜け殻のように残されていた。その奥には素知らぬ顔の夜景が広がっている。飲み干した杯のなかで氷が溶け落ち、幽玄から目覚め



あのね。
ところでもう1ヶ月近くもこの文章を弄っているんですよ。

ずっと気に食わないでいるから、
ついに諦めてアップすることにした。

つくづく、音楽の感想文は性に合わず、向いていない。
でも掻き立てられるから、書かざるをえない。
できれば、「カッコいい」という言葉を一回も使わずに書きたい。
するとこんな風に回りくどく、胡散臭くなる。
「カッコいい」と一言書けばそれで済むものを。

いやいや、そんな単純なものではないのだ、私が体験したものは。

もっと複雑で、だけどもっと簡単で、実に味わい深く、、、ああやかましい。もうどうでもいい。


今日

今日、ロケットを打ち上げる人
今日、渾身の製品を売り出す人
今日、いい知らせがくるのを待つ人

すべての人にとって、今日は勝負の日

昨日の、1週間前の、1年前の、10年前の、100年前の、
私の何気ない行動や思いが、かたちを伴って表れる、
それが今日という日


というわけでZAZEN BOYSの赤坂ブリッツ。

「開戦前夜」で、私のなかの「戦士」が束の間目覚める。

勝っても負けても 己の勝負

勝っても負けても 己の勝負

勝っても負けても 己の勝負

勝っても負けても 己の勝負


色々あるけれど、正直思う。

本来、勝負には和解も仲裁もない。金メダル半分個するかい。結局、先に取った者が勝ち。白か黒かが、生命の理。わかっとる。

だけど、今はそういう時代でもない。

殺気を殺し、感情を封じ込めての、和睦と協調、共生。
コラボレイション。
ああ、わかっとるとるとるとる。

色々あるけれど、正直思う。

本当は刀を抜きたい。

目の前の敵を今すぐ倒したい。

相手は手強い。

技術と体力は五分五分でも、経験と知恵の差で負ける。
それもわかっとる。

それでも。

負ける戦いと分かっていても、己の心には負けたくない。

たとえ死んだとしても、それが生きるってことじゃあないのか。

私のなかの「戦士」が怒鳴る。

だけど所詮、そいつは私の心の鎖につながれている。
それで結局、ふて寝。


熱狂のライブ・ハウスから吐き出されて、赤坂の飲み屋街を駅までほっつき歩いた。

あちこちの居酒屋の入り口付近で、この宴からあの宴へと移らんと欲する師走の人々の群れが入り乱れ、カオス化していた。

私は何食わぬ顔をしてその中に立ってみたかった。
「ご挨拶がまだで大変失礼をいたしました」と名刺を差し出し、
「今年の勝負はいかがでしたか」と尋ねてみたかった。

酔った人は私が誰かなど知る由もない。
かの宴で後から合流した取引先の誰かだろう、くらいは想像するだろうか。

「にしても貴殿、今年の勝負はいかがでしたかな」

ある人は「いやあ」と唸り、ある人は「まああ」と遠吠えするだろう。

ふん、私はそれでは満足しまい。勝負しない者に興味はない。

「完全勝利を飾りました」「完膚なきまでに敗北を喫しました」と断・言する英傑に相まみえるまで、私は赤坂の飲み屋街を彷徨い続ける。


今日は勝負の日


よく晴れた冬空の下を颯爽と行く、無言のあなたと同じ


2016年11月8日火曜日

アルスシムラのこと

南青山のTOBICHI 2や外苑前のifs未来研究所で開催されていた、アルスシムラによる展示が6日までだったので、最終日に駆け込んできた。

2015年に設立されたアルスシムラは、染織家で人間国宝の志村ふくみさんとその長女・洋子さんによる学校だ。染織の基本的な技術や考え方を習得することを目的とし、生徒さんは1年間かけて植物による糸染めと織りを学び、最終的には自分だけの着物を仕立てる。学校は京都・岡崎と嵯峨にあり、嵯峨校の2年コースでは藍染めのための藍建てにも取り組むそうだ。11月3日に「atelier shimura」というブランドをスタートし、着物はもちろん、小裂の額装や画帖、草木染めのストール、ふくさや名刺入れといった商品を展開している。本展はそのお披露目の場でもあったのだ。



3、4年ほど前だろうか。汐留のパナソニックミュージアムの工芸展で志村ふくみさんの作品を拝見したのが最初の出会いだった。友禅染の森口華弘さん、ご子息で継承者の森口邦彦さん、羅の北村武資さんといった方々の染織作品とは少し離れるようにして、たしか型絵染の芹沢銈介さんや木工の黒田辰秋さん、陶芸の富本憲吉さんなどの作品が並ぶ空間のそばで志村さんの着物が展示されていた。海辺の風景をそのまま織り上げたような、静かでありながら力強い生命感に惹かれたのを覚えている。当時は「なぜ染織カテゴリーのなかで展示されないのだろう」と少し訝しく思ったものだ。後に、志村ふくみさんにとってこうした民芸の方々との交流がひじょうに大切な意味をもっていたことを知り、あのように領域を超えた展示にも納得がいくのであるが(もちろん展示空間の都合でもあろう)。

それ以来、私は志村ふくみさんとその魂を受け継ぐ長女・洋子さんの活動を、“どっぷり”とではなくとも、なんとなく追い続けていくようになった。近頃は独学ではあるものの着物に触れたり実際に着たり、染織の歴史や産地に興味を持って調べたりするようになったのも、あの時の多少違和感をはらんだ印象的な出会いの延長線上にごく自然にやっていることなのだと思う。

世田谷美術館での大規模個展「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰」(こちらも昨日6日まで)についても書きたいことはたくさんあるのだが、ひとまず6日のことだけ備忘録的に。

いうまでもなく「atelier shimura」の作品はどれも素晴らしく、家族を待たせているのでなければいくらでも長居してしまうところだった。そこにあるものを1つひとつ目に焼き付けようとして、もしかしたら全身から異様な緊張感を放っていたかもしれない。背中からやさしく声をかけてくださった方がいらした。若い女性の方。雨上がりの空にかかった柔らかい虹のように、光から糸を紡ぎ出して織りあげたかのような美しく繊細な着物をまとっていらした。すぐにそうとわかったので、「アルスシムラの生徒さんですか。ご自身で織られたのですか」と尋ねると、その方は顔を赤らめて嬉しそうに「そうです」と微笑まれた。

「とてもよくお似合いです。どうしたらそのような色をつくれるのですか」と問えば「先生方とご相談しながら、また色々なご縁もあってこのような色になりました」とのこと。「普段私が着る洋服にはこういう淡くて明るい色のものはないんです。だから私自身にとってもこういった色と向き合うのは新鮮でした。着物だから挑戦できたのかもしれません」と話してくださった。着物の効果も相まって、その方の笑顔がとても輝いて見えた。着物って着る人と一緒になってはじめて完成するんですね。なんて当たり前のことを改めてしみじみ思いながら、ついつい目でその着姿を追ってしまった。本当に素敵だったので。

それからifs未来研究所の展示では、アルスシムラ一期生の方とお話することができた。その方もまた、こちらの気分まで温かくなるような優しい色合いの着物をまとわれていた。聞くと、1年のコースでは到底足りず、その後も志村先生の元で修行を続けていらっしゃるとのこと。「もともと染織をされていたんですか」と尋ねると、その方は「いいえ、まったく」と顔を横に振られた。「生糸に触れたこともありませんでした。一期生は12人だったのですが、半分以上が未経験者だったんです」。すべてイチから学ぶとなると授業もさぞかし厳しいのでは。「私も最初は不安だったのですが、そんなことはありませんでした。もちろん染織の技術を学ぶことは基本です。でも技術だけではなく、自然のことやそのなかで人間が生きることについて深く教えていただいたような気がします。生徒さんは10代から70代まで色々な方がいらして、皆で1つの卓を囲んでお弁当を食べながら色々な話をしたり。皆で一緒に取り組む、ということがこんなに楽しいなんて、初めて知ったようでした」。

それから作品をご紹介いただきながら、その方は仰った。「私が志村先生の着物にふれた時、不思議な懐かしさを感じたんです。日本人としてなんだか懐かしいと」。聞けば聞くほど興味がむくむくと湧き上がってくる。着物はもちろんだけれど、それよりも生徒さんたちのこと。全国各地から志村さん親子の元に集まってくる女性たちの思い。なかには、今までの環境やキャリアをすべて投げ打って新しい土地に住み、その門を叩いた方もあるだろう。厳しい染織の世界ではそれだけで食べてゆける作家は人間国宝を除いてはほとんどいないと聞いたことがある。“作家”になりたい、というだけであれば学校ではなく、別の道に進んだ方がよいかもしれない。

おそらく彼女たちはそうではないのだ。なんでもない日常のある日、突然出会ってしまった志村さんの着物、そしてその著作に触れることでとめどなく溢れ出てくる「もっと知りたい」という気持ち。何について? 自然のこと、生きるということ、ものをつくるということ、私あるいは女性ということ。求める答えは各自異なるかもしれないが、糸を染めて織る、という行為(生活)のなかでそれを見出したい、ということもあるのではないか。彼女たちが自分自身と向き合いながら織りあげた、混じりけのない色合いの着物を眺めながら、そんなことを感じたのである。

「今日は最終日なので、よかったら羽織ってみてください。触れてみてください」と仰っていただき、ああ、できることならそうしてみたかった! 着物と人はひとつになってこそ。でも今日は諦めます。今日で終わり、という気がしないのです。きっとまた、そういう機会がきちんとやってくるような予感がしているから。




2016年11月5日土曜日

都築響一さん

先週、高円寺の書店で開催されたトークイベントで、念願の都築響一さんの話を聴くことができた。

フリーランスの編集者として長年活躍した後、秘宝館やラブホテルをはじめ、デコトラ、ヤンキー、スナックといった「(興味はあるけど)あまり取材とかしたくないような」場所や人の元に赴いてレポートする活動を続けていらっしゃる。木村伊兵衛賞を受賞した写真家でもある。サブカルともストリートともつかぬ、“道ばた(ROADSIDER)”をこつこつと旅する、そのお仕事ぶりは唯一無二だ。

2012年にはブログを購読制のメールマガジン「ROADSIDERS’ weekly」としてリスタートし、書籍版「秘宝館」「LOVE HOTEL」のデータをまるっと収めた電子書籍(ダウンロード版、USB版)などをご自身オリジナルのメディアとして発行された。今や「紙の本にはまったく関心がない」と都築さんはきっぱり。

実は、私も自費出版の媒体みたいなことを考えておりまして。「リトルプレス」や「ZINE」なんていうとちょっと聞こえがいいけれど、お金かかるし、何部刷ったらいいのかも分からない。どうしたものかな、と悩んでいるところだったのだ。なので偶然とはいえ、都築さんが「電子がいい。電子しかない」と断言するその力強さに思わず「そっか!」と開眼したような気になってしまった次第。

決して紙のメディアを否定するわけではない。都築さんご自身ずっと雑誌の編集に携わってきたのだから愛着もおありになることだろう。しかし、だからこそ電子書籍がよりいっそう自由で、ご自分の活動スタイルに向いていると実感できるのかもしれない(ご本人は「いやいや個人ではそれしかできなかったので」と謙遜されるが)。電子の「秘宝館」は777ページでなんと1.8Gバイト。そこには大量の写真が収められている。紙媒体ではスペースが限られるため、大量の写真からベストな数枚を選ばなければならない。従来なら、そこに編集者の美学と哲学が凝縮されるはずでは。

「だけど僕は全部載せたい。読者だってきっと細部まで見たいはずなんですよ、秘宝館とか特に」。選ばない、という選択肢。全部まるっと載せちゃえ。高解像の画像を存分に拡大してじっくり見てもらったらいい。「今、ほとんどの写真がデジカメで撮られていますよね。だとしたら、それを表示するならデジタルのディスプレイが最も適しているはず。つくり手の思いをそのまま伝えられるのが電子書籍だと思うんです」。そもそも、紙の写真集で700ページといえば1冊7万円くらいになってしまうそう。電子書籍なら3,500円(税別)。それによって、もっともっと多くの人が“本”を手にすることができる。

出版の電子化は、編集者と読者の関係も大きく変えた。「皆さんが購読することで、僕の活動に対してお金を払ってくれていて、僕はそのお金でみんなが行けないようなところに行き、取材して、フィードバックする。読者というより、サポーターみたいな感じでいてくれるんです」。だから電子書籍ながら「手売り」が基本だ(もちろんROADSIDERSのオンラインショップ、書店などでも販売されています)。最後届けるところはアナログなんですね。「USB版とダウンロード版があって、USB版はイベントなんかで僕が手売りするんです。これまでに2000個くらい売りました」。

「秘宝館」のUSB版は小さなピンク色の缶のパッケージに入っていて、ちょっとした仕掛けもあってかわいらしく、「もの」として所有していたいような価値がある。友達にプレゼントしたっていいんじゃない。ダウンロード版(2,000円)は、遠方のため直接買うのが難しい方への対応策とのこと。実際は、USB版の方がダウンロード版よりも断然売れているそうだ。データはPDF形式なのでリーダーやデバイスのフォーマットに依拠しない。驚くことにコピーガードさえかけていない。コピーしてもらって構わない。守ったり囲い込んだり、そんなケチくさいことする間にもっと新しいネタ取材するわ。そんなオープンな姿勢を徹底的に貫いている。


「かつての出版では編集者 vs 編集者みたいな戦いが繰り広げられていた。今、僕にとってのライバルはアマチュアの人なんです」。その日の会場内にも、そういう方がいらっしゃるとかで、その方は世界中を旅して「珍仏」をコレクションしているのだそうだ。本業は別のお仕事をされているので一応アマチュア。しかしその知識やフィールドワークなど、プロの研究者にも劣らない内容だという。「こういう人たちとどうやりあっていくか。方法はたった1つ。ひたすら量をこなすしかありません」。

量。すなわちアマチュアよりもたくさん見る、アマチュアよりも遠くへ行く、アマチュアよりも危険な目に遭う! 要は、どれだけ自分の身を削れるか。それがプロとしての最後の砦というわけだ。誰も守ってなどくれない。業界、肩書、経歴など一切関係のない、過酷なフリーランスの世界。それでもやるって言うのなら、どこにも属さず、1人でやるって決めたなら、かっこつけてる場合じゃあないんだよ・・・都築さんはそう言葉にしたわけではないけれど、なんとなく凄みみたいなものを感じてしまったのである。

柔和な語り口と、ほわほわっとして、きっと目の前に座っていたらなんでも喋ってしまいたくなるだろう。そんな風貌と雰囲気の都築さんだが、その本質はきっともんのすごい骨太な覚悟のかたまり。ですよね。「好き」を貫くって、並大抵じゃないですよね。何かいいティップスを期待してふらふらと出かけ、「お、電子書籍私にもできそうじゃん」なんて調子に乗りかけたものの、最後に「なめんなよー」と返り討ちに遭ったような気持ちで書店をとぼとぼと後にしたのだった。でもすごく楽しかった。気合い入れて出直してきます!




2016年11月4日金曜日

昨日、ka na taのえんげき「きゅう」を見て



昨日、ka na taのえんげき「きゅう」を見て


ああいうものを見せられて
微動だにせず
まるで何も見なかったかのように
無言無視の闇に思考をほふることはかえって卑劣と考え
こうして昨夜のことをたぐり寄せている

確かに思うのは
芸術の本質のひとつは己自身をさらけ出す、ということである

今の世にあたりを見回せば、そこらじゅうそれっぽいものばかり
それっぽい服
それっぽい空間
それっぽい文化
それっぽい人たち
ああもう辟易だ

つくるほうも、求めるほうも
わかっちゃいるのにやめられない、暗黙のそれっぽさ

だから
ああいうものを見せられて
腹の傷から臓腑を引っ張り出してのたうち回るかなたの、叫ぶかなたの
さらけ出している、としか言いようのない
それっぽくない態度の壮絶さに
まず腰が引けて
目が白くなって
背中が強張って
そしてだんだん腹が立ってきた

「お前は演劇なんかやらずに服をつくっていればいいんだよ」

人にはそれぞれ期待される役割というものがある
特に長いことやっていれば
周りは勝手にそういう枠組みを構えてその人をとらえて閉じ込めたがる
そのほうがお互い安心なのでね

デザイナーはデザイナー、役者は役者、モデルはモデル
与えられた役割をこなしていりゃあいいんだよ

だけど人間は複雑なものだから
刻々と変わっていくものだから
もちろん欲だってあるから
もう少しだけ幸せになりたいと願うから
枠組みをぶっ壊したいし
無に帰したいと思う
そこからもう一回はじめたいんだ

かなたは「えんげき」でそれを実行しようとした
いつの間にか着込んでいた服を一生懸命になってひきはがし
もっとも信頼する大切な人たちに次々とつかみかかり、試し、傷つけようとする
そうしながら、もう一度生まれたい、生まれたいともがいていた
「きゅう」とはかなた自身のことだ
きゅうの次はゼロ
ゼロになりたい
無になりたい
そこからもう一回はじめたいんだ

一方、私は目の前で起きていることに憎しみを覚えた
そんなことは到底受け容れられない
世の中はそんなに甘くない
今すぐ仕事場に戻って、与えられた役割の続きをまっとうにまっとうしなさい
人生は一度しかないのよ
やりたいことなんかやる時間はありません

私のなかで明るみになったどす黒い嫌悪感が私の身体を侵食しはじめた
ドロドロとした毒液が目だの口だのそこかしこに染み渡ってきていやな感じの鳥肌に覆われる
後味の悪い夢を見た後のようだった
一刻もはやく、逃げるようにして家に帰りつき
理由なき不快を数杯の水割りで流し去ろうとした
ああいうものを見せられて
突きつけられて
私はもう知らない


ところが翌朝目覚めると
いつもより澄みきった透明な陽の光が私の身体を包んでいた
傍らの猫と目が合った
おはよ
だいじょうぶもう起きるから
不思議と昨夜とは違う感覚が生まれていた
悪いものをすっかり出し切ったような
完全敗北を喫してむしろ心地がいいというような

ものすごい戦いの後の野原で骨だけになって横たわっているみたい

そしてこうして文字を連ねながら
ようやく気づきかけている

かなたの「えんげき」につられてさらけ出してしまったのは
ぶっ壊されてしまったのは
それっぽいこの私自身ではなかったかと







追記
かなたは「なにをつくっても暗くなるんだ」と言ったが
結果的にこれは希望の「えんげき」です
プールでのショーのときは、ファッションが服を脱ぎました
そして今回の「えんげき」では、見る人自身がきっと


受けて立った一人ひとりのキャストもすばらしかった


2016年11月3日木曜日

不思議なジュエリーデザイナー、インドラさんの個展「インドラ・マン・スヌワール展」

先日、インドラ・マン・スヌワール(Indra Man Sunuwar)さんという不思議な人にお会いした。

今年の夏、表参道にあるセレクトショップ「水金地火木土天冥海」(愛称、水金)で、とある願掛けの意味合いもあってブラックダイヤモンドのリングを購入した。採掘してカットしただけというナチュラルダイヤモンドはティアドロップ型をしていてゴールドのリングに横向きに配されている。天然ゆえの不純物がかえって唯一無二の陰影を生み出していて、すっかりその景色に吸い込まれてしまったのだった。スタッフの方が、「それはインドラさんというジュエリーデザイナーの方が制作したのです」と教えてくださった。

ブラックダイヤモンドはその時の私の頼りない精神を力強く励ましてくれ、今も、初めての人と会う時やちょっと頑張りたい時には意図的に身につけるようにしている。私の「相棒」みたいなリング。だから、親しいフリーランスPRの女性から「インドラさんを紹介したいの」と声をかけてもらった時、正直色々な締め切りがあって引きこもりムードだったのだけれど、即座に「参ります!」と返事した。インドラさんに相棒リングに出会えた御礼を伝えたかったのと、ご本人に石の話を伺ってみたかったからだ。


水金のフロア奥のジュエリーコーナーで、インドラさんはいつも水金のブログで拝見するのと同じように小さめのストローハットを頭に載せ、テーブルいっぱいに広げたケースの上で飛び跳ねるように輝く石たちに守られるようにして座っていらした。日本とのご縁も深く、ネイティブのように日本語をお話しになることは存じ上げていたので、私はすぐに人差し指の相棒をお見せして御礼を申し上げた。インドラさんは嬉しそうに笑ってくださった。

そう。本当は、石の話をたくさん伺おうと思っていたのだ。ジュエリーといえば、ハイエンドでエレガントなファッションや敷居の高い世界ばかり思い浮かべてしまうのだけれど、その本質は鉱石である。私は、科学博物館に行けば鉱石コーナーでしばらく過ごすのがお決まりなくらい、地球が何万年もかけてつくりだす鉱石や化石が好きだ。ファッションというよりは、サイエンスや考古学の世界としての石。インドラさんがつくりだすジュエリーは、確かにジュエリーには違いないのだけれど、なにかその言葉のイメージにはまらりきらない、なんというか、「永遠の男の子が追いかけ続けているロマン」みたいな雰囲気があるような気がしてならない。代名詞の1つである「スターローズクォーツ」などインドラ作品のファンの方々ももしかしたら、ほかのブランドのジュエリーとは違うエッセンスを見出して水金に通われているのかもしれない。

話はそれたが、結局石の話はあまり伺わなかった。買い付けはネパールのみならず、世界中の色々な石の市場に赴くのだという。「“波動のいい”石を探します。値段の安い高いは関係なくて、いいなと思ったら連れて帰ります」。イタリアの宝石商から譲ってもらったという、赤くて透明な、グミの実のように美味しそうな石(ごめんなさい、名前は聞きそびれました)は、「柔らかすぎるから加工できず、売り物にならない。でも自分のコレクションにしたいと思って購入しました」。それから、ネパール特産の深い海のような色のサファイヤや水晶の中では最も透明度が高く希少なヒマラヤ水晶などいくつかの珍しい石を紹介していただいた。しかし、私ときたら突如その流れを遮るように「ところでインドラさんはなぜ、ジュエリーの仕事をはじめられたんですか」と不躾にも質問してしまい、同時にカバンからノートと鉛筆を取り出してさっと構えた。私の好奇心のアンテナはまず、石よりもインドラさんご本人に向けて鋭く反応してしまったのだった。もうこうなったら職業病で軽く戦闘態勢である。石はインドラさんにとってただのビジネスではないんですね!?


水金でもたびたび紹介されているから、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。インドラ・マン・スヌワール氏は、古くからネパールの古都パタンで代々受け継がれる金銀細工を手がけるものづくりの家系スヌワール家の血を引く末裔だ。初めて銀の指輪を制作したのは7歳の時。祖父の仕事を見よう見まねで、年に1度の祭事のために売られる魔除けの指輪づくりを手伝った。1つ2円か3円程度の土産物のようなものだが、祭りの日には大勢の人がやってきてその指輪を買い、ご利益に授かるのが習わしだ。インドラ少年は、自分が一生懸命つくったものが気持ち良いように売れていく様子が嬉しくてたまらなかったという。

その後、彼は学校へ行き、おそらくその間はジュエリーのことは考えもしなかったかもしれない。16歳の時に写真家になると決めてネパールを出た。写真を撮りながら世界各地を旅し、やがて日本にたどり着く。その頃出会ったこの国の友人たちは今でも付き合いがあるし、世界中にいる友人のうちでも日本の友人の数が一番多いそうだ。しかもご自身の会社は札幌にある(弟さんが切り盛りしておられる)。今回は聞きそびれたのだけれど、インドラさんにとって日本とはどういう国なのだろう。切っても切り離せないインドラさんと日本の関係について、いつかまた機会があればお尋ねしてみたいと思っている。

写真家を志す青年は、日本の写真賞に応募して、いくつかの賞を見事に受賞した。その時の写真を見せていただくと、ネパールをはじめとする山間地域や田園地域のなかで素朴に暮らす人々や子どもたちの自然な表情や佇まいがただただ美しい。私などが結論するにはまだ尚早で何も知らなさすぎるが、もしかしたらインドラさんのなかでは、写真を撮ることも、ジュエリーをつくるということも、さほど大きな違いはないのかもしれない、ということを思った。インドラさんが旅をして、“波動”を感じたものを切り取って、私たちの前に見せる、伝えるという活動。そのアウトプットが、写真という表現か、あるいはジュエリーという表現か、という違いでしかないのでは。そしてインドラさんの目と心が受信するその“波動”とは、地球や生命といった、悠久の時間とともに流れてかたちづくられていくようなもの・・・。こんな風に書いてしまうと、なんだかスピリチュアルな世界に少々寄りすぎてしまうだろうか。

とにかく事実は、写真を撮りながら、一方で現実的な生活の糧としてジュエリーの制作と販売をはじめられた、ということだ。やがて後者がメインの生業となっていくわけだが、それはインドラさんの血統を考えれば当然というか、宿命的な流れといえるだろう。


「ところで9月にネパールにホテルを建てたんです」とインドラさん。最近、ネパールの都市部では旧い建築をリノベーションした「ヘリテージホテル」が増えてきており、ヨーロッパなどから観光客が集まってきているそうだ。インドラさんのホテル「ZYU」は、地元の伝統的な装飾技術をもつ職人たちに声をかけ、地域のものづくりの粋が凝縮されたような空間になっているという。経済の落ち込みと、外資の安価な材料を求めるあまり、伝統の技術が失われてゆく状況はネパールも日本も同じだ。インドラさんは母国の状況に危機感をもたれており、「技術を残して伝える」ための1つの表現としてホテルというかたちにチャレンジされているのだ。

さらに「近所の山も買ったんです」とさらっと仰るので、思わず聞き返してしまった。「や、山ですか」。「そう。将来そこにエコビレッジをつくりたいんです。自然エネルギーを活用した自給自足の村をね。僕が撮った写真のような田園や子どもたちのこれからのことをみんなで考えていきたいんです」。ス、スケールが大き過ぎますね、インドラさん。「それから牛を買いましてね。イタリアから職人を呼んできて美味しいモッツァレラチーズを・・・」。モ、モウ、十分でございます!!


さて、話を石に戻そう。インドラさんは実は、有数のビーズコレクターでもある。「まるくて穴があいているものはすべてビーズ。日本のトンボ玉もそうだし、世界中のビーズを“かなり”集めています」。インドラさんが“かなり”と仰る時は“破天荒な量と質”という意味だろう。「例えばこれ」と足元に置いてあったプラスチックケースから、ビニールに入った縞模様の細長いビーズを取り出して、私の手のひらに載せてくださった。なんだかほんのりと温かいのは気のせいだろうか。「これはキング・オブ・ビーズと呼ばれるジービーズで、日本では天珠(てんじゅ)といいます。インダス文明に(インドやパキスタンあたりで)つくられたものがチベットへと渡り、そこでお守りや家宝、大仏の首飾りなどに使われていた高貴なもの。瑪瑙(めのう)を特殊な染料で染めて魔除けなどの文様を描いてあります。コレクターもたくさんいるからネットで調べてね」。はい。現代でも製造する技術はあってたくさんつくられているが、「古代天珠」と呼ばれる紀元前につくられたものは特に希少価値が高く、世界のセレブリティたちがこぞって求めるのだという。インドラさんもご自分の「お守り」を見せてくださった。濃いめのコーヒーにクリームを落として幾何学模様を描いたような・・・こんなチープな喩えしかできずまことに恐縮だが、これで1粒数百万という世界なのだからあれこれ言わずひれ伏すほかあるまい。しかしインダス文明を数百万で買えると思えば、高くはないのかもしれない(セレブにとっては)。

ほかにも、古代ローマでつくられていたとんぼ玉の一種である「人面玉」(平な円形のガラスビーズに人の顔が描かれている)や、古代フェニキアでつくられていた「人頭玉」、古代エジプトのヒエログリフが刻印されたビーズなど、もはや考古学レベルとしか言いようのないお宝を惜しげもなく見せてくださった。実際、考古学の研究者と一緒になって古代ビーズの研究も進んでいるのだとか。「もう少しで集めているビーズのコレクションがコンプリートするから、その暁には博物館に収蔵してもらい、本を出そうと思っています」。はあ。とんでもないスケールの話を、屈託のない笑顔で軽妙に語ってくださるインドラさんが、とうとうインディ・ジョーンズのように見えてくるのだった。

というわけで、インドラさんの個展をご紹介。石も、古代ビーズも、インドラさんも、“本物”に会えます。

インドラ・マン・スヌワール展
2016年11月3日(木)~20日(日)

「美しい物を追い求めて東奔西走するインドラさんが世界中から集めて来たのは、
実に希少で趣のあるプレシャスストーンやアンティーク。
ずらりと並んだインドラ・コレクションから、お好きな石を使ってリングやペンダントのお仕立てもいたします」

インドラ・マン・スヌワールさん在店予定
11月2日(木)~6日(日)、11日(金)~13日(日)、18日~20日(日)
14:00~19:00



いくら時間があっても足りない。夢中になって話を伺っていたら、いつの間にかおいとましなければいけない時間が迫っており、最後に何度も御礼を申し上げて失礼した。水金の皆さんに見送られながら店を背にし、足早に表参道の雑踏に紛れ込む。インダス文明やら古代ローマやら、まるでおとぎ話のような時空を超えた世界から、慌ただしく現実に引き戻され、私の意識も日日の仕事の方へと向かわなければならないことがひじょうに惜しまれる。興奮で握りしめていたのか、ほかほかと温かくなっている手の人差し指に「相棒」の存在を確認する。大丈夫。私の身体には、インドラさんが紹介してくださったあの悠久の時間がしっかりと寄り添っている。どんなことだってやり遂げられそうな気がする。するとタイミングよく、目の前の信号が青に変わった。さあ、行こう。いつもより目線を高めにして、私は横断歩道を渡った。(終)



2016年8月17日水曜日

餓鬼草紙



気づけば公開がまもなく終わってしまう。

「池を壊して(水が飲めないよう)旅人を苦しめた」「仏前にそなえた花を盗んだ」といった比較的軽め(?)な罪によって餓鬼となり、獄卒に火の塊を呑まされ、鳥には腹を突かれ続けるというなかなかシビアーな世界観。

ところが、これほど酷い目に遭っているのに、彼ら生き生きとした表情で、楽しげに人間の糞尿を喰らっているではないか。餓鬼たちの目のキョロキョロした感じや、その辺に散らかるチリ紙一枚まで描写が細かく、見る度に新たな発見があるから、何度でも見たいし、眺めていると「人生どうにかなるさ」とポジティブな気分になってくるから不思議だ。いっそのこと、恥も外聞もなく、こんな風になっちゃいますか! となると、この絵巻は何をもって真の目的としているのか。

たいていの宗教絵画において天国はよくわからないから抽象的な雲に覆われてぼんやりとしている。一方、地獄の描写はかなりリアルである。人々が罪を犯すことを恐れなければならないからである。

地獄のモデルとなったのはある意味「日常」だった。これらが描かれた頃は、おそらく戦争や疫病や飢饉など、日々の風景こそが地獄そのものであった(かもしれない)。絵師は気合と恨みと皮肉を込めて筆を握り、鑑賞者も「うわぁあ」とか言いながら、「これよりは今の状況の方がマシか!」などと思いながら、眺めていた(かもしれない)。

(※画像は順不同)
















そのようなわけで、実は、昨年の秋くらいから六道絵に惹かれ続けているのである。
きっかけは、東京・増上寺で開催されていた狩野一信の「五百羅漢図」展(前期:2015年10月7日(水)~12月27日(日)| 第21幅~第40幅展示)で六道のうち三悪道(地獄道、餓鬼道、畜生道)の場面を見て、生き生きと描かれる地獄の景色に吸い込まれてしまった。それから六道絵の作品集などを取り寄せて食い入るように見ている。なんというか、地獄というのは中毒性がある。

同時期、森美術館で開催されていた村上隆展の五百羅漢図も見に行ったが、残念ながら私のような素人の目には地獄が描かれていないように見受けられた。地獄は、シンボリックな火炎や髑髏を並べるだけでは不十分かと思う。そこで果てしなく苦しみ続ける人間たちの生々しい姿、苦しみを通りすぎて恍惚とした表情を描かなければ――。それはともかく。

私の地獄めぐりはまだまだ始まったばかりだ。




ウルトラ植物博覧会2016

ウルトラ植物博覧会2016
西畠清順と愉快な植物たち
2016年8月4日(木)〜9月25日(日)
ポーラミュージアムアネックス

去年から見ているが、器と空間デザインが加わったことで鑑賞の楽しさが増している。西畠氏が寄せた愛とユーモアあふれる言葉がスポットライトのように、暗がりに佇む植物たちのキャラクターを際立たせている。













写真はすべて7歳の娘による。iPhoneを渡して撮らせたら、その視点が実におもしろくて驚かされた。子どもが何を感じたかを伝えるには、限られた言葉よりもビジュアルのほうが的確かもしれない。彼女は今、夏休みの日記をつけることに苦労しているが、すべて写真にしてしまったらいいのにと思う。



2016年8月8日月曜日

サロンクバヤ



日本・シンガポール外交樹立50周年を記念し、日本で初めてプラナカン・ファッションが紹介される展覧会(本展は、福岡市美術館に続いて2館め)。

食や住まいと同様、衣服もまたその土地の文化や歴史、精神性を映し出す。中華、マレー、そして西洋という複数の文化を吸収しながら形成されたプラナカン(中国系やインド系など移民の子孫)の象徴として、サロンクバヤはまばゆい輝きを放っている。

サロンクバヤ。

まず、その魅惑的な響きに心惹かれる。

精彩な染めや手描きの巻きスカート(サロン)と、これまた目を見張るようなレースを施したブラウス(クバヤ)から成る衣装。その特徴は、18世紀から20世紀前半、シンガポールおよび周辺地域の激動に呼応するように変化してきたということだ。
つまりサロンクバヤは特定の民族の伝統的な衣装ということではなく、時代や環境に寄せて新しいものを取り入れ、広がりながら進化してきたハイブリッドなスタイルなのである。

とにかく、その優美さに見惚れる。贅を尽くした華やかさ、これ見よがしの艶やかさ、とは一線を画す、穏やかで可憐なエレガンス。それでいて芯の強さがある。もちろん、美しくつくりこまれたものに対して目のない高貴な女性たちの愉しみとしての一面も。


2016年7月26日(火)~2016年9月25日(日)
松濤美術館


2016年8月6日土曜日

暑中お見舞い申し上げます

金魚づくし 玉や玉や
歌川国芳 東京国立博物館蔵


どうか皆様、素敵な夏をお過ごしください。




2016年7月25日月曜日

DESIGN 小石川



詳細は別所にて書くので、ここでは印象というか感慨について。

8年も前になる。五反田のビルで、建築家の芦沢啓治さんが呼びかけて有志のデザイナーたちと一緒になって「プロトタイプ展 vol.2」を開催した。デザイナーズウィークの前後だったか、只中だったか覚えていない。でもあの熱気は鮮明に覚えている。参加デザイナーたちは文字通り、自分たちのプロトタイプを、想いを、来場者一人ひとりに懸命にプレゼンしていた。リスクを負って、自分の責任の元にものをつくり、自分たちの言葉で伝えようとしていた。個々が活き活きとしていた。
「こういう場所があったらいいよね」と、あの時、芦沢さんは言っていた。

それから8年。芦沢さんが場所をつくった。ここには小林幹也さんもいる。580平米、築50年。最強じゃないか。オープニングには400人駆けつけたとか。本当はみんな、こういう場所を心待ちにしていたんじゃないか。
2年限定とのこと。いやいやそんなこと言わず、その先を見据えて、全力で応援したい。








漫画家が描く「夜のルーブル」

食わず嫌いなんてするもんじゃない、と改めて思ったものであった。

森アーツセンターギャラリーではじまった「ルーブル No.9 ~漫画、9番目の芸術~」(9月25日まで)がいい。


「ルーブル」「芸術」という側面から誘われる漫画の世界は、それまであまり親しんでこなかったような人(私のような)にもきっと響く。実際、十分楽しんだし、特に「バンド・デシネ」というジャンルに出会えたことも個人的には大きな収穫だった。

何より、日仏が誇る漫画家たちの無限の想像力には本当に驚かされた。「ルーブルから何かを感じ、それを漫画で表す」というお題に対し、彼らはイマジネーションの翼を見事に羽ばたかせて、時空や、重力や、あらゆる制約を飛び超えた。絵画でも彫刻でも映画でもない、ただ唯一漫画でしか成し得ない、時間と空間と物語の融合を見せてくれた。で、それを目の当たりにし、間違いなく漫画は芸術だ、と唸ったわけだ。今までごめんなさい!という気持ちでいっぱいである。

参加作家の多くが、ルーブルのなにかミステリアスな部分に興味を抱いているのも印象的だった。人々が芸術だと賞賛し崇める「昼のルーブル」ではなく、夜の展示室や地下室、作品に宿る精霊たち、それが見つめてきた歴史――。今まで光があたることのなかった、ちょっと怖い「夜のルーブル」(=芸術の裏側)に足を踏み入れられるのも、本展のみどころ。



2016年7月22日金曜日

学術と美術のあいだ


菊池敏正「対峙する客体―形態の調和と造形―」
2016年7月16日(土)ー 7月31日(日)会期中無休 入場無料


待望の、菊池敏正さんの個展である。かねてより、東京大学総合研究博物館インターメディアテクでの取り組みや、メグミオギタギャラリーでのアーティスト活動など、ひじょうに興味深く拝見してきた。

東京藝術大学で文化財保存学の博士となり、その後東京大学の特任教授を務めながらアーティストとしての活動も積極的に行っているという、ユニークなバックグラウンドと多彩な「顔」をお持ちの菊池さん。その作品のおもしろさは、ご自身が関わっている学術と美術のあいだにある「濃密な探究の時間」の抽出、とでも言えばよいだろうか。



かつての近代科学が神話や信仰と深く関わっていたように、学術(研究)と美術(創作)のあいだに実は本質的に隔たりなどないのかもしれない。どちらも理屈抜きに、ある対象の「美しさ」にとりつかれた人間の取り組みでしかないのではないか。例えば、菊池さんが幾何学模型をモチーフに制作した彫刻シリーズ「Geometrical Form」を眺めているとそんな人間の純粋な営みについて思う。

本展では、緊張感ある「Geometrical Form」シリーズを散りばめつつ、新作ではガラスの試験管によるコンポジション、土台に載せられたウニ、ジョセフ・コーネルのように額装された貝の標本など、「古物」というアプローチ。材料そのものには特別な加工を施していない。作家が「かたちのおもしろさで選び、収集した」ものだから、そのままを展示する。




軟体動物の化石をモチーフにした彫刻もある。身近にそれを研究している人がいて、教えてもらったそうだ。菊池さん曰く、「研究者にとって研究の動機は、そもそものかたちの美しさや理屈では説明しきれないものだったりする。何も知らない人がこの彫刻を見た時に、生物と思うか、数理モデルと思うか、それはわからない。そういったわからないところがきっとおもしろい。予定調和ではつまらない」。



幾何学模型の彫刻が並ぶなかに、ひとつだけ古いのこぎりが置かれている。気になる。漆芸という伝統的な方法でつくった幾何学のかたちと、ある時代ある場所でおそらくある民族の誰かが生活に必要な作業のためにつくった大きなのこぎり。どちらも既に役目をおえて静かに佇む物もののあいだに、息巻いて論じる余地など残されているだろうか。そこにあるのはただただ美しい、あるいは、ただただおもしろいかたち。だとすれば、私はその前に立って息を呑むだけだ。



THURSDAY NIGHT



今宵は、FRIDAY NIGHT.
というわけで書きます、ゆうべのZAZEN BOYS.

一言で言えば、常磐津の気迫だった。

奏者の呼吸、間合、気合、これをはずしたら誰かが地獄に堕ちそうな、崖縁の緊迫だった。

爆と静を緻密に織り上げていく。生きると死ぬを何万遍も繰り返し、ひとつの曲が殴り描く、人間という宇宙の大団円に向かって全速力で走り、走り、突っ走り、最後は一気に、収縮。無。

およそ音楽の感想文など適性がかけらもないのは四、五百も承知だ、恐縮。むむ。

確かなのは、陳腐な涙などではないと信じたいが、生暖かい水みたいな、どうもなにか細長い液体が、始終左の目玉の右の端からつつと垂れてきたのには弱った。うざったく、始終ぬぐった。


理由なんてない。ただ、差し迫る切迫が某の腺を圧迫したのだった。そして、帰宅すると発熱していた。頭や心を差し置いて、身体がいの一番に反応していた。かくして目出度く、今年初の夏風邪を引いた。



2016年7月8日金曜日

ビョーク・デジタル

そういえば、「Björk Digital ―音楽のVR・18日間の実験」(日本科学未来館、入場は日時指定制)に行ったのでした。7月18日まで。
内容は、今話題のVRのヘッドセットを装着して、ビョークの最新アルバム(3曲)を体感するというもの。そう。聴くというより、全身で感じるという作品です。

機器を装着すると、暗闇から一転して海辺の風景になり、そこにいます、ビョークが。思わず手を伸ばしちゃいそうな距離感で、二人に分かれたり一人に戻ったりしながら私に向かって歌い、微笑みかけてきます、ビョークが。時々いなくなるので心配になって後ろを振り返るとやっぱりそこにいて、安心して、だんだん変な気持ちになってしまいそうです(『Stonemilker VR』)。

2曲めの『Mouth Mantra』は歌っているビョークの口のなかに入っちゃいます。常々ビョークになら食べられたいと思っている人は、その夢が(仮想的)現実になるというわけです。それは素晴らしい体験ですが、同時になかなか壮絶でグロい世界観でもあります、歌うビョークの口のなかというのは。凝視するにはそれなりの覚悟が必要かもしれません。

そして最後の『Not Get VR』では、もうですね、私、光でできたビョークの中に飛び込んで融合してみました。そしてビョークの目の穴を通じて世界を見てみました。あと後半からどんどんでかくなる。ビョーク、どんどんでかくなります。でかくなって終いには4、5階建てのビルみたいになります。もうこうなると本物じゃなくてもよくなってきます。危険な兆候なのでしょうか。

以上、何を言ってるか全然お分かりにならなかったかと思います。説明は大変むずかしいのです。すみません。とにかくバーチャルの世界ではとんでもないことが起きているのです、信じてください!と言うしかありません。もしくは、実際に見てもらうしかありません。


VR体験が終わったなら、隣のシアターで大音響で上映されているこれまでのビョークのリマスター版MVを見ながらゴロゴロして過ごすのがオススメです(全部視聴すると約2時間です)。


2016年7月7日木曜日

映画

数十年ぶりに見た日本の映画が『ディストラクション・ベイビーズ』で本当に良かった。
ちょうどその日はホルモン関係の影響かと思うが、世の中や自分に対する不快感が最高潮に達していた。これをどうにかしなければならなかった。
久しぶりの日本映画ということで緊張しており、事前に映画館に隣接するキリンシティでハッピーアワー310円のビールで景気付けしてから挑んだ。
途中、後方の中高年のご夫婦は席を立った。さもありなん、さもありなん。一般的に「良い映画」なのかどうかは知らないが、少なくとも私の心には響いた。ストレス解消!みたいなのではなく、ああ生きている!みたいな感じである。
俳優もみんなすばらしく、特に那奈の素人的な狂気が際立っていた。音楽はもちろん、This is 向井秀徳。


あと、今日は水曜日でレディースデイだし、暇だしなんか見るもんないかとひじょうに安易に見た『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』がなんとも良かった。冒険映画ということでビールをLサイズにしたせいか途中ワンダーランドではなくドリームランドにすり替わってしまった箇所もあるが。終わってみると総じてこれは自分のために仕向けられた映画ではないかと自意識過剰に陥ったくらい良かった。
それぞれのキャラクターが見た目の珍奇さに似つかわしくなくいいことを言い過ぎるきらいがあった。いちいち覚えてはいないが、どの言葉もいちいちぐっときて泣きそうになった。
「到底お前には無理だよ」と言われている人や、そういう視線を感じながらもインポッシブルなミッションに取り組んでいる人には訴えるものがある。たぶん。



明るく狂っている

誰かがアメリカに行くと言って、それで思い出したんだけど、
東京オペラシティ アート・ギャラリーのライアン・マッギンレー見てきた。7月10日まで。若いお客さんたくさん。
絶景と裸。
確かに明るく狂っていて、おもしろくて切ない。
70年代生まれのクリエイターが40代になってから再評価されているというか、むしろ本当の旬を迎えているよね。若い時にちやほやされたのはよくある話なので。

60年代生まれはむき出し、80年代は遊牧。
その間で存在感薄く、どうも特徴見つけにくいイイ子ちゃんタイプが中年になって、その複雑な仕事ぶりがおもしろがられはじめている。
バブル崩壊の失われた10年に感性を矯正されて、表面的にはドライで整って見えるけど実は中身がドロドロしてて熱い。要は裏表激しい。そのギャップがおもしろい。ような気がする。



それから、話は全然違うけど、この人はブリストル。

ヴァーチャル視聴覚室のEBM(T)が新しいイシューを公開していて、これがとても綺麗で好きだ。まずアイデアが素敵だし、作業は緻密で、全体的にとんがっていてとにかく好きだね。サム・キデル。Googleデータセンターの建築空間をシミュレーションして、そこでヴァーチャルのライブパフォーマンスをしたんだって。今日もものすごい暑さになるようだけど、骨までキンと冷えるような、かき氷みたいな音楽。ビジュアルも綺麗。


この作品はアイオワ州、カウンシルブラフスに存在するGoogleデータセンターでのコンピューター音楽のライブパフォーマンスをシミュレートします。作品は2012年に発表されたアイオワ州Googleデータセンターの画像からインスピレーションを受け、その画像からアルゴリズム的に生成される音符やリズム、メロディーと、そこで起きるかのように生まれる音を形づくる意図的なインプットの間のダイアローグです。Googleサーバールームの写真から想像される建築プランを元に、ソフトウェアを使用し、空間の反響やその特徴をシミュレーションし、仮想空間に楽曲を流しています。 私はこれをミメティック(mimetic)*1 のハッキングのように考えたいと思います。アノニマスのようなハッカーグループが模倣したウェブサイトを作り、そのコンテンツに干渉したり弄ぶかのように、私は、完全に保護されたこのデータセンターの実寸法を仮想空間に投影し、コピーである壁に音を反響させる。(EBM(T)サイトより)






2016年7月5日火曜日

芸術に関わる人は、個を貫け。自分の頭で考えろ。



飼い慣らされることを拒んで自分の生き方を選んだ。

誰も守ってくれない。丸裸になるリスクを厭わず、自分の王国を作りあげた。

誰かと一緒に音楽をやるのに言葉や契約は要らない。要るのは直感だけ。

誰かをぶん殴ったり、愛するのに、言葉や契約は要らない。要るのは直感だけ。と同じ。

創造とは既存の何かを脱ぎ捨てること。


This is 向井秀徳。



ライブでギターを客席に放り投げて「いいから弾け」と促した。

それに応えない真面目な素面は忘れ去られて、

弾けもしないのにステージに立った酔っぱらいは乾杯された。

拓郎や泉谷は好みではない、と言った。

創造とは既存の何かに喧嘩を売ること。


This is 向井秀徳。



2016年6月13日月曜日

ポンピドゥー・センター傑作展

東京都美術館で開催中の「ポンピドゥー・センター傑作展」がよかったのでとりいそぎ一筆。

2016年6月11日(土) ─ 2016年9月22日(木・祝)
東京都美術館 企画展示室
www.pompi.jp

美術展に何を求めるか、という話である。

よく言われることだが、美術館で大きな動員を記録するのはだいたい印象派と国宝である。人々がなぜこの2つに引き寄せられるのかは分からないが、「支払った入場料に見合うお墨付きの美を確認してくる趣味」であることも1つだろう。まあ安定のレジャーであります。

一方で近頃は美術館の展示に慣れた人も多い。もっと知らない世界に飛び込みたい、未知の驚きに出会いたい、という人も増えてきた。本展はそんな冒険心を抱いたアート好きの皆様にオススメである。

パリのポンピドゥー・センターが有する約11万点というコレクションのなかから1906年から1977年(開館した年)まで、1年につき1作品を選んで時系列で紹介するというユニークな趣向。絵画、彫刻、写真、映像、家具など幅広い分野からフランスで活躍したクリエイターが集い、フランス近現代美術史のエッセンスをテンポよく眺めていくような展覧会だ。

なぜこの年はこの作品なのか、といったラインナップの根拠についてはあまり触れなくていいと思う。セレクトショップに行って「なぜこれを選んだのか」といちいち訝しむ人はいないだろう。それよりは、美術のプロ・目利きが選んだ作品作家との出会いに素直に身を委ねるのが本展の楽しみ方。

副題には「ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで」とあるが、それ以外のほとんどの作家の名前は私にとっては初耳で、知られざるアウトサイダーな人も多く、かなりマニアック!という印象。「こんな人いたんだ」「こんな作品見たことない」の連続。初めて美術館にやって来た子どものような感覚で未知のアートと遭遇できるのが新鮮だ。作家の氏名に添えられた“語録”もまた鑑賞者の好奇心をサポートしてくれるだろう。

そんな鑑賞体験を支えるのが、パリ拠点の建築家、田根剛さんによる会場構成だ。3フロア構成という同館独特の構造を活かし、フロアごとに展示スタイルをダイナミックに変えている。特に企画展ではあまり見たことのない展示壁の使い方によって、鑑賞者の身体と作品の関係性がおもしろいことになっている。
これからご覧になる方のために詳しくは書かないけれど、今まで多くの絵画展において横方向にカニ歩きさせられていた鑑賞者がここではまったく違う動き方をしているのだ。これは展示壁を平面ではなく構造物ととらえた建築家ならではの発想。「制約(しばり)」をクリエイティブな方法で「見どころ」へと転換していく田根氏の手腕もまた、本展の重要な作品(インスタレーション)ととらえたい。



さて、そんなことを書いていたら、6月17日(金)・24日(金)の夜間開室時間帯(18:00~20:00)には「フライデー撮影ナイト」を開催するとのリリースが飛び込んできた。
都美の特別展としては初の試みで一部の作品が撮影可能になるそう(実施場所は1階のカンディンスキー『30』前)。国内の美術館でカンディンスキーが撮影OKになっていたことはないと思うし、併せてこの新鮮な展示壁を撮れる(展示風景を撮れるのかは不明)という点においても貴重な機会だ。




2016年6月8日水曜日

声ノマ 全身詩人、吉増剛造展

2016年6月7日(火)~2016年8月7日(日)
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー

詩人の展覧会と聞いて内覧会に駆けつけた人は多かった。美術館でいったい何を見せるというのだろう。感じたことを書き留める。

・原稿やメモ帳の文字は極小の米粒
・会場は暗い、静寂
・壁、台、床、天井へと視線は無尽に宙を遊び、
・透ける布の先で人が動く
・頭上から声が降り注いでくる
・意味はおそらく、いらない
・声を空間のなかに埋め込むという作業
・詩とは何か

要するに、読解することも、聞き取りすることもままならず。
何か理解して共有した気になる安易さを放棄せよ。
ぼんやりと薄暗い空間のなかで、詩人のイメージの海に溺れる。

画家にとってのイメージがビジュアルのかたちをとるとしたら、
詩人にとってのイメージは音、声のかたちをとる。

そのイメージとは、
あるときは写真化された「声」
あるときは銅版化された「声」
原稿にびっしりと書き込まれた「声」
すなわち「声」。

カセットテープ「声ノート」

企画を担当した保坂健二朗氏によると、
近代美術において詩が果たした役割を見逃すことはできず、芸術家のクリエーションの立ち上がり時におけるポエジーのピュアな在り方を抽出して見せるということは近代美術館にとっては1つの試みである、というようなことであった。ピュアネス。
吉増氏の自宅に保管されていた千数百本にもおよぶ声ノート(カセットテープ)には自身のメモ代わりの声や朗読などが記録されていて、これを託された時に「声を主体とする」という展覧会の方向性が定まったそうだ。

よく見れば、写真や映像は多重音声のようなイメージのコラージュになっているし、日記や原稿は独特の楽譜のように音の抑揚を示しているように見える。帯のように長く伸ばされた銅板において重要なのはそこに何が刻まれているかではなく、むしろ言葉(声)を打刻する際に生じる音だ。吉増氏にとってメディアとは、詩人の声を写しとり、見えない声をあぶり出す装置のようである。




保坂氏からマイクを託された吉増氏はその両耳をヘッドホンで覆っていた。自分の音声を聞きながら話すのだという。「誰にでも異常なところがある。自分の場合は聴覚に頼るタイプであるということだ」。

吉増氏は京都で空海の書、「手控え」と呼ばれるメモ書きのようなものを見た時、その自由さ、呼吸が全部伝わってくるような気がしたという。日常のしごと、すなわち発表を前提としない「カジュアリティ」のなかにあるいきいきとした空気。その「やわらかなたましい」こそ、今の時代に回復していかなければならないのではないか。そういうことを展覧会の準備中に考えたという。

本展は、文学としての詩の分析ではなく、吉増氏の「手控え」的なエレメントを並べた7つの部屋から成る。それらは薄い布によるゆるやかな境界を得て影響し合い、保坂氏が「クリエイションの立ち上がり」と説明したような、作品が生まれる前の渦のようなインスタレーションとなっている。そしてそこは声や言葉に満ちていながら、とても静かで厳かな印象だ。



3.11の翌年から吉増氏は「怪物君」というタイトルの詩を書きはじめた。「言語それ自体が透視力をもつようになるまで、音と言葉のあいだの妖精みたいな奴をとっつかまえる、ような作業だった」。
敬愛する吉本隆明氏の詩を書き写し自らの身体に取り入れた。吉本氏の詩に「全生活・全領域に対する配慮」を感じとり、詩そのものというよりはむしろそれを支える紙の罫線、すなわち詩にとっての“地面”をつくるような感覚になったそうだ。会場に展示されている怪物君の原稿は凄まじい。
手控えとはいいながら、詩人が綴る文字の重たさ。
しわくちゃになった紙に吸い取られた湿気と赤いインク。無限の自由。
まさに「劇化する詩」(吉増氏)、詩とはいったいなんですか?と問わずにはいられない。





会場で吉増氏は詩を朗読した。ご本人はそれを朗読とは言わないようだが、歌っているとも、唱えているとも、踊っているとも言えないような不思議な律動、区切り、音の大小。生まれてはじめて耳にするようなものであった。朗読の途中で勝手に解説をはじめてしまうのでブツ切りのタコのようになった詩はそれはそれで再生と一時停止を繰り返す緊張感を帯びて、大変スリリングな時間であった。


そんな「声ノマ」、すなわち“声の間”から続く改装現場のような通路の奥に映像の部屋があり、予測不能な展開に正直戸惑った。ある意味美しく完成されたインスタレーションの前室とは真逆の、未完成の、工事中の、言葉になる前のうめきのような、むしろ暴力的でもあるようなラスト。他者の介入によるブツ切りのされ方。(あの人はなぜあんなに悪態をつくのか。)人は老いを意識すると自らのしごとを綺麗にまとめたくなるものだ。自ら枠組みをつくっていくものだ。しかしそこであえて他者と切り結び、決して綺麗には終わらせないところに詩人の本当の自由と抵抗を感じた。




2016年6月3日金曜日

和菓子屋「一幸庵」幻の作品集、待望の一般発売

和菓子職人の水上力さんの本「IKKOAN」が6月下旬に青幻舎から新装出版されるとのこと。




これまでテレビや新聞でも紹介されてきたからご存知の方も多いかもしれない。
和菓子の世界ではどちらかといえば先鋭的な動き、既存の概念を軽やかに超えてゆく才気と技術、そして何よりもピュアな感性を持ち合わせた和菓子の芸術家。そんな水上力氏は、むしろ海外のパティシエやシェフたちから熱い視線を集めている。



眺めて美しく、楊枝を入れれば驚きがあり、口に含むと「ああ、おいしい」と心がすっと安らぐような日本のお菓子。水上氏は「お茶がおいしくなるお菓子であること」を第一義とし、伝統の心を重んじる。伝統あってこその先進だという。


2015年クラウドファウンディングによって書籍化された「IKKOAN」は好評で増刷されるも未だ入手困難となっていた。日本の季節の繊細な移り変わりを表す暦「七十二候」に沿って一つずつ丁寧につくりおろされた見事なお菓子のビジュアルと、水上氏による言葉が日本語、英語、フランス語というトリリンガルでまとめられた本は、まさに世界が求めていた一冊だった。今回、海外販路をもつ青幻舎から改めて新装版として出されるということは、今後求める人の元へと安定的に届く仕組みができるということ。大変喜ばしいことである。

茶巾で絞って、水上さんが広げた手のひらのなかに可憐な菊がほころびた。
そんなライブ感のある美しい写真。


ところで発端となったクラウドファウンディングや各所の取材や講演のマネジメント、そして今回の新装版に至る道筋を切り拓いた人物がいる。ここで「仕掛ける」という言葉は使いたくない。戦術や罠を想起させる用語に聞こえるからだ。私はかつて水上氏に取材する機会を得て、事前にその人物に話を聞かせてもらった。あまりに熱心な語り口にやや圧倒されていると、その人は「水上さんのファンなんです、ただし熱烈な」と言った。

ご実家が東京・小石川の一幸庵のそばにあり、幼少の頃から母親に連れられて店に足繁く運んだのだという。一幸庵の菓子を食べて育った少年はいつしか大人になって社会人に、広告の世界に足を踏み入れた。いくつかの偶然や再会が重なり、出版計画のきっかけは本当に些細な、それこそ思いつきに近い“衝動”だったと振り返る。しかしその“衝動”を支えていたのは幼少期の繊細な五感に刻まれた鮮烈な記憶であり、その後のすべてが一冊の本に向かってつながっていったのだ。

「何か卓越した技術や経験があるわけではない。僕には想いしかありません」

謙遜してそう話す。しかしながらその想いこそが、既存のシステムや閉塞感を乗り越えていく。あっ、熱苦しい話でごめん。でも実際そうなんだから仕方がない。斜に構えることなどできない。例えばバレーボールなどオリンピックのための予選など見ていると、24対23であと1点で勝負が決まるというような状況では、技術や能力が五分五分ならあとは気持ちだけの問題というような気がする。どれだけオリンピックに行きたいかという想いの差でしかないような気がする。そして、そういう局面ってスポーツだけではないような気がするのだ。

人生って、どうしたってやらなきゃいけない時ってありますよね。
なぜそれが自分なのかわからないけれど、どうしても自分がやらにゃならんという時が。厳しい戦いなのは明らかなわけで、一人突っ込んで行ったって到底歯が立たない、相手にもされない。周りは「どうせ負ける勝負なのに」「ばかだね、あいつ」と憐れみながら嗤っている。孤独。敵の反応に一喜一憂して「こんなことやらなければもっと楽に生きられるのに」と囁くもう一人の自分。でも何かに突き動かされている。残りの人生かけてもやりたいと思う。だって俺が見つけたんだ、私が感動したんだ。だからこの感動を誰かに伝えなくちゃ。そのためならどんな方法だって厭わないし、泥の中だって這いまわるさ。
強い想いと足掻きが少しずつ厚い氷の壁を溶かしていく。やがて氷の先に協力してくれそうな人の姿がぼんやりと現れる。そこに向かって必死に壁を叩く。最初はダメでも、もう一回叩く。もう一回。もう一回。手に血が滲む。心が痛む。でも叩き続ける。
そうこうするうちにやがて誰かに何かが届く。受け取った誰かからまた別の誰かへ。想いの連鎖ができていって、あるしきい値を超えた時に一気に伝播していくイメージをひたすら持ち続ける。不可能の扉をあけ放つ日がくるまでそれだけを信じる。あとは孤独。
そんな祈るような想いを胸に抱き締めながらたぎらせながら歩いている人、一体この晴れた空の下に何人いるのだろう。



さて、水上氏とかつての和菓子少年の話には続きがある。

彼らにはもうひとつ叶えなければならない夢があるのだ。新装出版も一つの通過点。しかし彼らの最終的な夢を叶えるためには、絶対になくてはならない通過点である。近頃はそんな二人三脚の夢を見守る人が増えてきているのか、「“想い”だけでも結構遠くへいけるようです」と手応えを感じている様子が頼もしい。一歩、一歩、歩み続ける。不可能の扉をあけ放つ日がくるまで。



「IKKOAN」
クリエイティブディレクション・企画編集 南木隆助
アートディレクション 川腰和徳
フォトグラファー 堀内 誠
プロデューサー 佐藤勇太
フォトレタッチャー 山田陽平
デザイン 入澤都美
仏文訳 セシル・ササキ
英文訳 メアリーベス・ウェルチ


2016年4月28日木曜日

マーティン・バースの新作展「New! Newer! Newest!」


今年ミラノを取材したジャーナリストから教えていただいた、マーティン・バース(Maarten Baas)の新作展「New! Newer! Newest!」について。調べてみるとやっぱりおもしろい。

華やかで豪勢な見本市会場からはだいぶ離れた町の片隅で、一匹狼的にものづくりの意味を問いかけつづけてきたバース。時にはデザイン界に対して批評的な視点を含むコンセプトも、ユーモラスなかたちや仕掛けをまとわせることでふんわりと笑顔のなかに包み込んでしまう。辛さとゆるさの絶妙なバランスがマーティン・バース。

今年はついに、“もの”ではなく“未来”をデザインしてみせた。バースの“新作”は200年かけないとつくれない。だから今はない。でも200年後、みんながこの世からとっくにいなくなって、デザインなんて言葉すらなくなっているかもしれない時に、太古21世紀の“新作”が目を覚ます。

ミラノでは新作以外には見向きもしないメディアやバイヤー、デザイン関係者。そんな彼らから「今年の新作はどれ?どれ?どれ?」と聞かれまくる出展デザイナーたち。お互い仕事だから仕方ないんだけれど、本当にそれでいいんだっけ。もうちょっとゆっくりできないんだっけ。今年で55回目というミラノサローネに向けて放った痛快な一撃、異才マーティン・バースならではの「新しさ」とは。

(以下、プレスリリースをだいたい意訳してみました)


「ワッツ・ニュー?!どれ、どれ?どれが新しいの、どれが最新?!」

(展示会で)こういった質問がひじょうにしばしば聞かれるため、マーティン・バースは「新しさ」とは何か、について真剣に考えてみることにしました。「実はそれってとても難しいことなんです。比較の問題ですから」とデザイナー。「一秒と一世紀の違い、単発的に盛り上がることと時間をかけて大きく変化することの違いについても、結局のところよくわかりません。しかし確信はありました。今回俺、“新しい”なにかをつくったんじゃないかって」。
バースは、フローニンゲンミュージアム(オランダ)の協力のもと、「空間」と「時間」という観点から2つのプロジェクトを立ち上げます。それは120ヘクタール(サッカー場200個分)の規模の敷地を使い、とんでもない時間をかけて作品をつくりあげるというもの。彼は今年、予測がつかないけれど極めて“新しい”活動を始める予定です。

The NEW Forest

「The NEW Forest」は時間とスケールに関する探究のプロジェクトである。グーグル・アースやドローンといった技術によって私たちは上空から見る景色に馴染んできた。そこで、惑星そのものを彫刻としてとらえることはできないか、あるいは、屋根をキャンバスとして見立てることはできないかと考えたのである。
このプロジェクトでは、葉や紅葉の色によって木々を分類し、特別な配置で植林する。その森が育つにつれ、デザインが少しずつ立ち現れてくるというわけだ。200年後の2216年までに森は生い茂り、上空からの景色はまさに「21世紀からの贈り物」といった様相を呈することだろう。上から見ると森は「NEW!」という文字を描いており、季節の変化によって異なる色の組み合わせを楽しむことができる。それこそ毎年、最新の「NEW!」を我々に見せてくれるはず。
「The NEW Forest」のための敷地にはオランダの人工島「Flevoland」の100ヘクタール(サッカー場約180個分※ママ)を予定。オランダ森林局が環境の取り組みの一環として指揮を執ることになっている。






The Tree Trunk Chair

「The Tree Trunk Chair」は200年かけて製造される椅子である。2世紀にわたり樹木に型を埋め込むことにより、幹は育ちながら少しずつ成形されていく。その後、型を取り除けば椅子は「収穫」可能だ。伐採してその部分を切り取れば、この21世紀のデザインをようやく使用することができる。
この技術は「Grown Furniture」(fullgrown.co.uk)で知られるデザイナーのギャヴィン・ムンロー(Gavin Munro)と共に開発し、フローニンゲンミュージアムが今後数百年にわたり木を管理していくことになる。最初の木は、今年中に同館の庭園内に植樹される予定だ。





詳しい内容、映像や画像についてはこちら(バースのサイト)をご覧ください。



5月4日追記(しかしながら上記とはまったく関係がありません)

「不可能なプロジェクト」について考えている。
そのプロジェクトはある直感的な出会いと共に私の頭のなかに浮かんだのだった。
最初はぼんやりと。できっこないけどそんなことがあれば素敵だな、と。でもきっと誰かが既にやっているんだろうな、というくらいに。それがだんだん、もしも、もしも誰もやっていないなら私がやるっていう可能性もなくはないのかな。もしも万が一私がやるとしたらどうやりたいかな。という具合に、ダメだダメだと自分でツッコミながらも抗いがたい妄想が膨らんできて、いつしか具体的なイメージを帯びはじめて、ある日、何かの弾みで誰かに伝えた時点でその「不可能なプロジェクト」はおんがあと産声をあげてしまったのである。
まじか。産んだからには、責任もって育てなければならない。不可能を可能にしなければならない。といいつつ、楽天家の私自身はそれほど不可能とは思っていないのだけれど。
それでマーティン・バースを思い出した。200年先のプロデュースだなんて耳を疑うようなプロジェクトも、最初は彼がぼんやりと思ったところからはじまったんじゃないかって。バースが言うことに対して表向きは「いいね」しつつ、心のなかで「バカバカしい」と一蹴していた人も少なくはなかっただろう。でもバースはたぶん楽観的に確信していた。俺、これやりたいし、やれるかも。で実際、実現しちゃう。200年後だけど。
そのことは私に夢を与えてくれる。実現できるのなら、200年後だっていい。ならば私が今、その種をまこうじゃないか。