2016年11月8日火曜日

アルスシムラのこと

南青山のTOBICHI 2や外苑前のifs未来研究所で開催されていた、アルスシムラによる展示が6日までだったので、最終日に駆け込んできた。

2015年に設立されたアルスシムラは、染織家で人間国宝の志村ふくみさんとその長女・洋子さんによる学校だ。染織の基本的な技術や考え方を習得することを目的とし、生徒さんは1年間かけて植物による糸染めと織りを学び、最終的には自分だけの着物を仕立てる。学校は京都・岡崎と嵯峨にあり、嵯峨校の2年コースでは藍染めのための藍建てにも取り組むそうだ。11月3日に「atelier shimura」というブランドをスタートし、着物はもちろん、小裂の額装や画帖、草木染めのストール、ふくさや名刺入れといった商品を展開している。本展はそのお披露目の場でもあったのだ。



3、4年ほど前だろうか。汐留のパナソニックミュージアムの工芸展で志村ふくみさんの作品を拝見したのが最初の出会いだった。友禅染の森口華弘さん、ご子息で継承者の森口邦彦さん、羅の北村武資さんといった方々の染織作品とは少し離れるようにして、たしか型絵染の芹沢銈介さんや木工の黒田辰秋さん、陶芸の富本憲吉さんなどの作品が並ぶ空間のそばで志村さんの着物が展示されていた。海辺の風景をそのまま織り上げたような、静かでありながら力強い生命感に惹かれたのを覚えている。当時は「なぜ染織カテゴリーのなかで展示されないのだろう」と少し訝しく思ったものだ。後に、志村ふくみさんにとってこうした民芸の方々との交流がひじょうに大切な意味をもっていたことを知り、あのように領域を超えた展示にも納得がいくのであるが(もちろん展示空間の都合でもあろう)。

それ以来、私は志村ふくみさんとその魂を受け継ぐ長女・洋子さんの活動を、“どっぷり”とではなくとも、なんとなく追い続けていくようになった。近頃は独学ではあるものの着物に触れたり実際に着たり、染織の歴史や産地に興味を持って調べたりするようになったのも、あの時の多少違和感をはらんだ印象的な出会いの延長線上にごく自然にやっていることなのだと思う。

世田谷美術館での大規模個展「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰」(こちらも昨日6日まで)についても書きたいことはたくさんあるのだが、ひとまず6日のことだけ備忘録的に。

いうまでもなく「atelier shimura」の作品はどれも素晴らしく、家族を待たせているのでなければいくらでも長居してしまうところだった。そこにあるものを1つひとつ目に焼き付けようとして、もしかしたら全身から異様な緊張感を放っていたかもしれない。背中からやさしく声をかけてくださった方がいらした。若い女性の方。雨上がりの空にかかった柔らかい虹のように、光から糸を紡ぎ出して織りあげたかのような美しく繊細な着物をまとっていらした。すぐにそうとわかったので、「アルスシムラの生徒さんですか。ご自身で織られたのですか」と尋ねると、その方は顔を赤らめて嬉しそうに「そうです」と微笑まれた。

「とてもよくお似合いです。どうしたらそのような色をつくれるのですか」と問えば「先生方とご相談しながら、また色々なご縁もあってこのような色になりました」とのこと。「普段私が着る洋服にはこういう淡くて明るい色のものはないんです。だから私自身にとってもこういった色と向き合うのは新鮮でした。着物だから挑戦できたのかもしれません」と話してくださった。着物の効果も相まって、その方の笑顔がとても輝いて見えた。着物って着る人と一緒になってはじめて完成するんですね。なんて当たり前のことを改めてしみじみ思いながら、ついつい目でその着姿を追ってしまった。本当に素敵だったので。

それからifs未来研究所の展示では、アルスシムラ一期生の方とお話することができた。その方もまた、こちらの気分まで温かくなるような優しい色合いの着物をまとわれていた。聞くと、1年のコースでは到底足りず、その後も志村先生の元で修行を続けていらっしゃるとのこと。「もともと染織をされていたんですか」と尋ねると、その方は「いいえ、まったく」と顔を横に振られた。「生糸に触れたこともありませんでした。一期生は12人だったのですが、半分以上が未経験者だったんです」。すべてイチから学ぶとなると授業もさぞかし厳しいのでは。「私も最初は不安だったのですが、そんなことはありませんでした。もちろん染織の技術を学ぶことは基本です。でも技術だけではなく、自然のことやそのなかで人間が生きることについて深く教えていただいたような気がします。生徒さんは10代から70代まで色々な方がいらして、皆で1つの卓を囲んでお弁当を食べながら色々な話をしたり。皆で一緒に取り組む、ということがこんなに楽しいなんて、初めて知ったようでした」。

それから作品をご紹介いただきながら、その方は仰った。「私が志村先生の着物にふれた時、不思議な懐かしさを感じたんです。日本人としてなんだか懐かしいと」。聞けば聞くほど興味がむくむくと湧き上がってくる。着物はもちろんだけれど、それよりも生徒さんたちのこと。全国各地から志村さん親子の元に集まってくる女性たちの思い。なかには、今までの環境やキャリアをすべて投げ打って新しい土地に住み、その門を叩いた方もあるだろう。厳しい染織の世界ではそれだけで食べてゆける作家は人間国宝を除いてはほとんどいないと聞いたことがある。“作家”になりたい、というだけであれば学校ではなく、別の道に進んだ方がよいかもしれない。

おそらく彼女たちはそうではないのだ。なんでもない日常のある日、突然出会ってしまった志村さんの着物、そしてその著作に触れることでとめどなく溢れ出てくる「もっと知りたい」という気持ち。何について? 自然のこと、生きるということ、ものをつくるということ、私あるいは女性ということ。求める答えは各自異なるかもしれないが、糸を染めて織る、という行為(生活)のなかでそれを見出したい、ということもあるのではないか。彼女たちが自分自身と向き合いながら織りあげた、混じりけのない色合いの着物を眺めながら、そんなことを感じたのである。

「今日は最終日なので、よかったら羽織ってみてください。触れてみてください」と仰っていただき、ああ、できることならそうしてみたかった! 着物と人はひとつになってこそ。でも今日は諦めます。今日で終わり、という気がしないのです。きっとまた、そういう機会がきちんとやってくるような予感がしているから。