2016年2月16日火曜日

車力道



その道は「車力道」という。

鋸山の頂上付近の採石場で切り出した房州石を「ねこ車」と呼ばれる木製の荷車に乗せて急傾斜の道を滑らせ、ブレーキをかけながら下りた。

1本80キロの房州石3本。1回につき240キロもの石を運搬する者は「車力」と呼ばれ、主に女たちの仕事であった。

江戸や横浜へ向かう渡回船が待つ港の集積所で荷を降ろし、空になったねこ車を背負って再び頂上の石切り場まで登る。これを1日3往復。わずか1回、頂上に行くのも大変なことだ。車力の仕事はケーブルやトロッコが敷設され、トラックが使われるようになってからも一部で昭和35年頃まで続けられた。


大小の石切り場が点在する鋸山。江戸時代後期から採石が始まり、明治から大正の最盛期には30軒の石屋によって年間56万本も産出していた。周辺人口の約8割が石材関連の仕事に従事するなど金谷は石の町として栄えた。


横浜開港に伴う護岸や土木工事用の石材として使われ、現在も横浜港高島桟橋、港の見える丘公園、靖国神社、早稲田大学大隈講堂の石塀などに残っているという。戦後は機械化され、パン焼き釜などにも使われたが自然保護規制強化により昭和57年に石切りの歴史は幕を閉じた。


山頂から下へと山を横にスライスするように石を切り出していく。
四角い横穴があるのは、良質の石を求めるため横方向に切り進む「縦切り」の跡だ。

石の切り出しは人の手作業だ。まずツルハシの一種「刃づる」で溝を掘り、5~6本の「矢」を石の底面に差し込んで岩盤からはがすように起こす。「たたき」で石の角を削って形を整え、商標を入れる。石屋には「I」(屋号:芳屋)「II」(俵屋)「ミ」(ミカド)「ヤ」(弥治郎)などそれぞれの印があった。

(以上、金谷観光案内所による解説パネルより抜粋して構成)



男たちは雨の日も嵐の日も山にしがみつき、女たちは重たい石を引いて急な坂を滑りながら駆け下りた。

いったい誰が刻んだのか、仏の像。

つい35年ほど前までツルハシを岩盤に打ち込む音やチェーンソーの轟音が響いていたとは思えない静けさ。ブロックを積み重ねたような幾何学的な口を開けた山壁も木々や苔の緑に覆われ、かつての産業の興隆と壮絶さについて沈黙するように。

一方私は、身体を余らせて使い切らぬ時代にぬくぬくと座ったまま弛みきって衰えゆく己の骨や肉を思った。







※2月18日追記

栃木県宇都宮市の大谷石産出跡地ではこんな取り組みも。

 栃木県宇都宮市「OHYA UNDERGROUND」

1.未稼働だった地場産業の「採掘場跡地」を活用

2.「地下空間の魅力」を生かしたツアーを開発

3.「ここでしかできない体験」で人気を集める

栃木県宇都宮市の大谷地域は、帝国ホテルにも使用された建材、大谷石の産出地として知られています。昭和40年代に最盛期を迎えましたが、近年は需要が低下し、年間出荷量は約89万トンから2万トンにまで減少。多くの跡地が使われないまま残されていました。
しかし、今、採掘場跡地が持つ「巨大地下空間としての魅力」を発揮させる取り組みが始まっています。
2013年3月に設立されたLLP(有限責任事業組合)チイキカチ計画は、普段は立ち入り禁止の採掘場跡地で、地底探検のクルージングや真の暗闇体験などのアクティビティを提供。『OHYA UNDERGROUND』のブランド名で「ここでしかできない体験」を提供し、予約待ちが出るほどの人気となっています。
チイキカチ計画の代表・塩田大成は、地権者との交渉や安全性の確保など、数々の課題を乗り越えてサービスを実現。次なる企画として、地下を舞台にしたアウトドアレストランを視野に入れるなど、『OHYA UNDERGROUND』を進化させています。

以上、「地域×デザイン -まちを編みなおす20のプロジェクト-」の解説パネルより抜粋しました。

東京ミッドタウン・デザインハブ 第56回企画展
地域×デザイン -まちを編みなおす20のプロジェクト-
会 期:2016年2月18日(木)~3月6日(日)11:00~19:00
会期中無休・入場無料

会 場:東京ミッドタウン・デザインハブ
東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5F