2016年2月22日月曜日

魔女の秘密展

秘密というよりは真実。

本当にあったこと、としての魔女裁判。

ヨーロッパ30カ所以上の博物館などから集めた“魔女狩り”の資料。日本初公開のものも多数。

こうして図録を開いて改めて見ることすら憚られるような気持ちだ。はっきり言って怖いです。ショックを受けちゃう人もいるかも。。

詳しくは、本展監修者や解説者の言葉を借りたい。衝撃的だが、リアルな展覧会だ。


魔女の秘密展
2016年2月19日(金)~3月13日(日)
ラフォーレミュージアム原宿


(以下、プレビュー会見より抜粋、構成しました)


西村佑子氏(本展監修者、ドイツ文学者)

ヨーロッパのある時期あった恐ろしい出来事、魔女裁判。
よく「中世の魔女裁判」とか「暗黒の時代の」とか言われるが、決してそうではありません。15世紀半ばから18世紀の半ばにかけて、中世から近世に起きた出来事なんです、決して中世だけとは思わないで下さいね。

展示は「信じる」という章から始まります。
当時、人々が思うところは宗教にありました。キリスト教を信じることは、自然と悪魔や魔的なものについても信じていくことにつながりました。
また近世というのは少しずつ科学や技術が発達していった時代。グーテンベルグによって印刷術が発明され、メディア革命ともいうべき大きな変化がもたらされた。ドイツの場合ですと宗教戦争があり、それと同時に魔女論がたくさん出版された。ちょっとしたうわさ話が大きく広がっていく素地ができあがっていったんです。

(写真)『魔女に与える鉄槌』は魔女の犯罪を体系的に記述した最初の印刷本。魔女の定義、黒魔術の方法、自白させる方法などが記されている(ハインリヒ・クラーマー/1519年版、1490年版)

それからこの時代は小氷期と呼ばれる天候不順による大飢饉や貧困に見舞われました。疫病も大流行した。これまで神様のいうことを信じてきたけれど、もうそれだけではどうにも生きていけないという状態。そうしたなかで魔女は生まれたのです。魔女というスケープゴートを生み出すことによって人々は安心したんです。自分のせいではない、魔女がそういうことをしたんだと。つまり魔女とはつくりだされたもの、ということなんです。

(写真)ペストの流行や貧困を描いた作品など

生み出された魔女を裁くわけですが、えん罪であるから当然証拠はありません。だから「自分は魔女である」と自白させる。自白させるために拷問にかけるわけです。皆さんギョッとされるかもしれませんが、会場には拷問の道具も展示されています。

数多くの魔女裁判を経て、1775年に最後の魔女裁判が行われます。もう18世紀の半ばです。その後は美術や芸術の世界、イメージのなかで魔女は残っていきます。

一方、日本には魔女の歴史はありませんでした。現代の日本にあふれる魔女のイメージというのは決してパッとできたものではなく、ヨーロッパのこうした歴史があって生まれてきたいうことをわかっていただけたら。それが私の願いでもあります。



山田五郎氏(編集者・評論家)

35年ぶりくらいにドイツに行って取材しましたが、驚くことだらけでした。
魔女裁判というと必ず「中世の」ってつくんですよ、「暗黒時代の」とか。中世の悪い領主や王様、エロ坊主がきれいな若い女の子をものにしようとして拒まれて、腹いせに魔女だといって拷問して殺したイメージがあるかと思いますが決してそうではなかった、ということです。

魔女裁判が最も盛んに行われたのは17世紀ですよ、ルネサンスも起きてます、ガリレオもニュートンも出てきた、そんな時代に、教会の異端尋問所じゃなくて町の裁判所で、法律にのっとって裁かれました。なまじ法律にのっとって裁いたものだから、証拠が必要。だけれども魔女の証拠なんてあるはずがないから自白が必要になる。自白を得るためにどうするかというと拷問にかける。町によっては拷問を合法化していくことになっちゃった。

エロ坊主やエロ領主がやっているのではないから、誰かが訴えるわけです。それが市民だったりする。妬みや恨みが理由で市民同士が訴えあいをする。そういうことが始まると自分がいつ訴えられるか分からない状況になってきます。いつ自分が魔女だと言われるか、言われたら負けですから。言われたら負けというこの恐ろしさ。自分がやられる前に誰かを訴えちゃおう。誰かが訴えられたらその人を助けてやろうというのではなくて犠牲にしちゃおう、と。

それがあったからこれだけたくさんの、びっくりするほどたくさんの、魔女裁判が行われてるんですよ。エロ坊主やエロ領主だけがやっていたらこんな数にはならないですよ。これは市民同士がお互いに訴え合って、まなじっか法律によって裁かれたもんだから、こんなにたくさんの魔女裁判が起きたということなんです。
地域と処刑者数:ドイツ2万5000人、フランス5,000人、ポーランド4,000人、スイス4,000人、ベルギー/ルクセンブルグ2,500人、イタリア2,500人、イギリス1,500人、デンマーク1,000人、ハンガリー800人、チェコ800人、オーストリア500人。他にスロヴァキア、スロヴェニア、ノルウェー、リヒンテンシュタイン、スペイン、スウェーデン等各地域でも魔女狩りが行われた。(本展展示パネルより)

死刑になった人のなかには男の人もいるし子どももいた。もう誰でもいい。ここに今回の展覧会の一番のポイントがあると思うんですよ。法律も通用しないようななんでもありの“中世の暗黒時代”だから起きたことじゃないんですよ、魔女裁判というのは。

なまじっか民主的な状況がそろってきて、法律があって、印刷術ができてね、魔女の条件みたいなことを情報として知る。そういう結果起きた悲劇だということ。現代の日本と共通することがたくさんある。魔女裁判の構図はいじめの構図とまったく同じです、自分が被害者になる前に誰かを訴える。誰かをスケープゴートにすることで、色んな不満のガス抜きをする。当時は印刷術の誕生がメディア革命を起こしましたが、今だとインターネットがそれにあたります。噂が流布する、それに対してバッシングしていく。ネット上のバッシングもそれに似ている。

魔女裁判、魔女というものが決して“昔のヨーロッパの話”ではなく、今の日本にも十分共通するところがある。人の心の恐ろしさとか、群集心理の残酷さといったものをこの展覧会から感じ取ってほしいと思います。

(写真)後世に描かれた多様な魔女のイメージ